現代社会と新築の庭

忙しい現代人にははっきり言って庭のある家は無駄かも知れない。
そこそこの豪邸を建てても庭がなく、シンボルツリーを一本だけ植えるようなパターンが多いように思う。
 家を建てる際に建築士さんから、庭木を勧められてプレゼントのような形で玄関のあたりに一本植えましたという感じの家をよく見る。とにかく木が一本でもあると家がかなり映えるのは確かで、雰囲気が良くなる。しかし家の見た目を良くする方法は木以外にも手法はあり、本当に小さな庭ですら手入れをしている余裕がない人に庭を押しつけてしまうのは、雑草が大量に生えていたり、枯れた木をそのままにしていたりかえって酷いことになりかねない。
 庭を造る際は、ペットを飼う位の気持ちでちゃんと世話ができるか考えてからのほうが良さそうと言うのが本音だ。

 それでも、庭がある家というのはとても良い物だと、大きな日本庭園を潰してた時に強く感じた。加えて、現代では庭はピュアオーディオ並みに疎遠な存在に成っていることに気がついた。
 皆が一軒家に住んで大きなスピーカーを部屋いっぱいに置いて好きな音量で音楽を楽しむなんて事は、現代社会ではなかなか難しくなっている。
 核家族化が当たり前となり、人付き合い、近所付き合いが疎遠になった行く先は、今よりもさらに簡素で無機質な家が好まれていくように思う。
 家族という社会の最小単位であり、その住処である家もまた社会の構造の変化とともに常に変わり行くものだと感じた。

 庭は面倒だというのは至極真っ当な意見であり、本当に好きでないと今の時代作ることはない。
 それでも、その面倒さが人間という生き物が生きていくために必要な脳だったり身体への良い栄養だと思う。これはピュアオーディオにも同じようなことを感じるけれど、現代で完全に廃れてしまった物や文化は本当に必要ない物だけだろうかと疑問に思う。

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