元日から地震に見舞われた2024年も無事に5月5日を迎えました。あの日は、あまりの強い揺れに人生終了したかなと思ってしまいました。それから春まで例年よりも気温が異様に高く、体調が整わない日が続いていますが、いつになく活動的な春を過ごしています。4月から新しく中国語講座を始めたり、Youtube動画を積極的に作成したり、ここ数年はまっているポーカーアプリでも全国2位になれました。
 昨年、自分の障害の全容がこれまでで最もはっきりとわかり、しんどいなりに自分の病状に適した生活みたいなものが見えてきて、活動レベルは引きこもり生活が始まってからもっとも高くなっている気がします。そんな流れで、去年の夏は、宮崎駿の最新作、「君たちはどう生きるか」を10数年ぶりに映画館まで見に行きました。映画の事前情報はポスターの謎の鷺のイラストと冒険活劇であるということのみ。先に映画館へ行った人たちの感想はまちまちで、その多くは「意味不明」、「よく分からなかった」、「難しかった」というようなややネガティブなコメントが多かったです。もしかすると宮崎監督最期の作品になるかもしれない本作、上映前までは必ず映画館で見るんだと意気込んでいましたが、上映が始まるとやっぱり得意でない映画館まで行ってみる必要もないかなと思うのでした。そんな興味が離れていくなかで、ふと目に留まったのは、映画の主題歌である、「地球儀」でした。米津玄師が抜擢されたその曲は、YoutubeでPVが公開されており、期待を膨らませながらiPadで見るのでした。そして思うのです、これは映画館で見て体験しないといけない映画だと。

 

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  iPadで聴きつつも、米津玄師の「地球儀」のイントロから泣きそうになりました。広大で誰かの人生の走馬燈を見るかのようなその曲は、どうしようもなく懐かしく、切なくそれでいて、力強いのです。私は音楽を聴くときは主に歌詞を追っています。その次にメロディーを聴いて、小さくリズムを感じています。私にとって音楽とは、歌であり、その人であるかもしれません。そのなかで、「地球儀」の歌い出しです。

「僕が生まれた日の空は 高く遠く晴れ渡っていた
 行っておいでと背中をなでる 声を聴いたあの日」

 自分が生まれた日は晴れていたたったそれだけのこの歌詞。しばらくして、実際に生まれた日の事を母親に聞いてみると、何時に生まれたのか外の天気はどうだったのかすら覚えていないと言います。「たしか…午前中だったかな…?違うかな??覚えていない。」気象庁の記録を見ると少し蒸し暑い日で曇り時々小雨だったようです。実際に生まれた日の天気なんてその後の人生で気にする人なんていないかもしれません。それでも、歌の中だけで、あなたの生まれた日は良く晴れていたんだと言われるだけでなんだか涙が出てくるのです。この歌詞を聴いてハッとしました。普通、生まれてきた瞬間はだれでも、当たり前に親から天から祝福されて生まれてくるのだと。そして自分にはその当たり前の、望まれて生まれてきたという感情がないことに気づくのです。そう日常的に、生まれてくるべきではなかった、自分は死ぬべき存在だとうっすら思っている節があります。そういう感情に対して、歌のなかで、あなたの生まれてきた日は晴れていたんだ。と言われるだけでひどく救われてしまうのです。このあまりにも小さすぎる自己肯定感は、生まれながらについてしまった呪いみたいなものだと思っています。生まれてきて良かったんだという誰もが当たり前に持っている感情が、安定して存在してないのです。

 普通の人、特に日本人は、言葉ではっきりと愛を伝えるような文化がありません。日常的に、あなたに出会えて良かったとか、あなたのことを愛している、あなたが幸せになりますように、なんていってくれる人はそうそういませんし、そのような機会も限られています。しかし音楽の世界は逆で、慈しみで溢れているのです。そんな音楽でもっとも優しさと強さを感じるのが、岡崎律子さんの楽曲です。はじめて出会った楽曲「For フルーツバスケット」では、歌い出しに

「とてもうれしかったよ君が笑いかけてた
全てを溶かす微笑みで」

これだけで、穴が空いた心が満たされるのです。どうしようもなく、辛いときに必要なものは、強力な薬でもなく、大金でもなく、少しの優しさと慈しみの心だと思います。おそらく普通に生活していると気づかないような小さな愛みたいなものが生きていくための必須栄養であり、普通の人には当たり前に授かっているものではないかと思います。人が深く傷ついたときや躓いてしまった時、こころを満たしてくれるのはやっぱり音楽であると思います。日常的に音楽に触れて、音楽を摂取して、今にも枯れてしまいそうな心を保つのでした。音楽ならタイミングも場所も選ばずとりあえず聴くことが出来ます。音楽とは心象的な手紙であり、オーディオはそれを伝達する装置であるかもしれません。

 人を二つに分けられるなら、音楽を聴いて感動し泣く人と泣かない人。音楽で泣いたことがない人がいるときいてびっくりしたことがあります。オーディオの世界では、初めてのオーディオ体験にオーディオショップの試聴室で涙する人がたまにいるといいます。私もその中の一人ですが、もしかすると泣くためにオーディオをやり続けているのかもしれません。とはいえ、いまだに朝食を食べながら泣いている事の多い昨今、iPadでミュージックビデオを見ながら聴きながら泣いているのでした。結局,音楽であるならば、音質はさほど重要なパラメーターではないなとこの頃感じます。音が良かったら音楽の楽しさや理解度は深まるかもしれませんが、いち一般人が、受けられる音楽の本質には限界がすぐそこにあるような気がしています。
 この十数年の間、音楽を聴くことで生きてけると確信してから、狂ったようにオーディオを突き詰めてやってきましたが、本当に必要なのは立派なオーディオではなく、音楽を通して感じられる「無限の愛」でした。オーディオをいくら高級にしても愛は大きくはならないのです。逆になにか負担が増えててしまっているような気さえします。それは、元々人から受けるはずの愛を、音楽から譲ってもらっている状態から、オーディオの方にフォーカスを向けたらおかしな事になったのでしょう。

僕が生まれた日の空は 高く遠く晴れ渡っていたんだ。自分は生まれてきて良かった、望まれて生まれてきたんだと、これまでも、これからも涙をこぼしては確認しながら一日一日を過ごしていくのです。音楽に出会えたから今日まで生きてこられた。オーディオ趣味はずいぶんとやり過ぎたなと思っていますが、音楽が不要になることはないでしょう。そういう意味で音楽は、心の奥深くに根ざすものであり、繊細で有り難いものなのです。NO MUSIC NO LIFEとはよくいったもので、音楽は心の必須栄養であるのです。その栄養素の大部分を占めていたのが岡崎律子さんでした。

 無限の愛を日常的にくれる存在は、やはり音楽であり岡崎律子さんというシンガーソングライターなのです。もし身近な人に、大切な人がいたのなら、少なくとも年に一度は、感謝や深い愛情を伝えようと思うのです。そうして5月5日の今日、岡崎律子さんに出会えたこと、音楽という愛を遺してくれたことに最大限の感謝をするのです。

【2023年】5月5日岡崎律子さんの命日。愛をくれたあなたへ

 

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