凍てつく冬もすっかり春めいてきて、分厚いコートをしまって、社会の様子もアフターコロナかのような装いを始めました。しかしこの頃、収入は大して増えず、むしろ減少しているにもかかわらず、電気代や日用品を含めあらゆる物価が上がり続け、スタグフレーションが進んでいます。同時に、ホームオーディオの世界でも、ハイエンドオーディオの需要の高まりや資材や輸送コストの高騰などが影響し、高級オーディオの価格が10年前の2倍や3倍にまで上昇しています。オーディオファンの多くは、値段が変わっていくのスロットマシーンのようなプライスタグに目を回しています。あまりの激しい値上がりと社会全体の窒息感に、私もオーディオに大きな投資をすることはもうやめた方がいいのではないかと感じるようになりました。しかも、家づくりにおいても、ハウスメーカーの坪単価が10年前に比べて1.2〜2倍程度に上昇しているように感じられます。コロナ後の価格や社会情勢では私が今住んでいる家を建てることは到底できなかったと思います。そう考えると、2019年にオーディオルーム付きの家を手に入れたことは、言葉では表現しきれないほどの幸運だったと思います。

人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている

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目次
1.はじめに
2.変わりゆく世界情勢とオーディオルームの存在意義
3.「ハイエンドスピーカーからヘッドホンぽいリスニング感」の発現
4.Youtube動画でのトッププロの発言とただの誤解と理論の超飛躍
5.【if】77+33=100が正しい世界線を考える
6.私がおすすめするオーディオのカタチ
7.まとめ

はじめに

はじめに軽く自己紹介をすると、私は、iPodを買ったことをきっかけにイヤホンヘッドホンから良い音で音楽を聴く楽しみを知り、その後、大してお金が無いながらも、服だったり外食だったりにお金をかけるところが一切無かったので、とりあえずオーディオをアップデートし続けていったらいつの間にかオーディオルームのある家に住んでいました。最初は3千円のイヤホンとiPod用のドックスピーカーで音楽を聴き、しばらくするとSTAXなどの高級ヘッドホンを買い始め、岩が転げ落ちるかのようにどんどんオーディオ沼へとはまり込んでいきます。もとより、ヘッドホンで音楽を聴くのは好きでしたが、この頃は発達障害の感覚過敏が酷くなって体力も大きく落ちてしまい、ヘッドホンで音楽を聴くのが苦痛になってしまいました。しかし、オーディオルームがあるおかげでヘッドホンでなくてもいつでも快適に音楽を楽しむことができます。さらにはここ最近は、体調が悪すぎるために大型スピーカーではなく、ソファーで寝ながらiPadでYoutubeのMVを見るのがメインになっていたりします。そう今の私のメインオーディオシステムはiPad Air4です。これが意外にタブレットとしては音が良いのです。いろいろと、どうしてこうなった。

さて、この頃のAIの技術の進歩はめざましく、イラストを出力するAIですら1ヶ月単位で別物のようなすさまじいアップデートされていきます。このAIの技術は音楽業界、さらにはオーディオ業界にも大きな革新をもたらすと断言できます。スピーカーのエンクロージャーが最適化され、アンプの回路が最適化され、部屋の特性やスピーカー特性が適切に補正され……と、もうすでに浸透している技術もありそうですが、このAIの進化速度は今までのそれとは全く訳が違います。
これは私の完全な空想ではありますが、ここ30年ほどデジタル技術で世界一変したように、次の新しい”スーパーデジタル”つまりはAIによる人間にはできなかったあれやこれやが、現実のものとなる気がしています。その一つが、部屋や人、好みの音楽に自動的に合わせるスピーカーだったり、防音、調音など非常にコストのかかる部屋作りを必要としないスピーカーシステムです。これはまさしく、コンパクトかつシンプル、左右対称、周囲のノイズに邪魔されない、面倒なセッティングもないヘッドホンでのリスニング環境と同じといって良いでしょう。つまり近い将来、”スーパーデジタル”がもたらすスピーカーのリスニング感、つまりはコストや手軽さはヘッドホンやイヤホンに非常に近くなると予想できます。80年代ビル一棟分の何十億円もしたスーパーコンピュータ以上の性能のコンピュータがいま、私たちの手元にスマホとしてあるように、何千万もかけないと出せなかった音が、もしかすると近い将来、だれもが数万円と少しのスペースで体験できるようになるかもしれないのです。

もしそのようなことが空想ではなく実際にあるとしたらどのようなものでしょう?
そして、ハイエンドオーディオを煮詰めた先にある音は、高級ヘッドホンの感覚に近づいていくのか?
さらにその先の「スピーカーの音=ヘッドホンの音」の図式が完成した場合どうなるのか?

変わりゆく世界情勢とオーディオルームの存在意義

そんな、運良く手に入れたオーディオの家ですが、確かに断熱気密などの性能も高く、そして軽く防音と調音を施したすこし広めの部屋をオーダーした結果、建築中に熱量があまりに高まってしまい、私には不相応とも思えるほどの本格的な部屋ができあがりました。毎日の生活をこのオーディオルームで送り、こうしてブログを書いている間も音楽をちまちま流しながら最高の環境で執筆作業ができるのはとても幸せなことです。しかし、日常的にこの部屋で生活していく中でも、葛藤に近い疑問がわいてきます。「音楽を聴くために、そして私がただ家で引きこもるために、こんな大それた部屋が必要だったのだろうか?」「本当にオーディオ趣味を楽しむためには防音と調音が施された広い専用リスニングルームが必要なのか?」コロナ禍も3年以上が経ち、遠くのヨーロッパでは戦争が勃発し、エネルギー問題や環境問題、少子高齢問題、そしてなにより今の日本の窒息するような空気感。今年に入ってからは、Z世代によるSNS炎上がテレビのニュースになるほど再燃しています。多くの人に余裕がなく、大雨や地震などの災害も頻発し、生活スタイルもめまぐるしく変わっていく世の中、明らかに昔よりも貧しくなっていく中で、注文住宅を建て、しかも専用オーディオルームを作るなんてことは、果たして今の時代に合っていて許されることなのだろうか?

この家を建ててくれた大工さんたちは、実に腕の良い職人ばかりでした。しかしながら、高齢化と人手不足の問題が深刻化しており、60歳の棟梁ですら若く感じられる状況です。このような状況下で、オーディオルームの防音と調音に必要な遮音石膏ボードなどの非常に重い建材を壁の全面に貼る作業を、悲鳴を上げながらこなしていました。さすがのベテランの大工さん達ですら、重い石膏ボードは身体に堪えると愚痴をこぼしていました。それでも、オーディオルームはコンクリートやスーパーボード、遮音マットなどの厚く固くそして重い材料で構成されており、オーディオルームの制作は資材屋さんや職人さんにとっても非常に重労働です。加えて、材料の価格や人件費が日増しに高騰している昨今、持ち家を建てるという発想が、時代にそぐわないものと感じられるようになりました。

現代日本は、裕福とは言えなくなり、オーディオルームを作ること自体が時代にそぐわないのではないかと感じます。スピーカーでのオーディオ趣味は風前の灯火かもしれませんが、それでも、音楽やアニメ、映画を楽しむ気持ちはどの世代にもあり、今の若者を中心に、スマホという名のDAPを持ち、数千円から数万円のイヤホンでYoutubeやTikTokを楽しんでいます。今逆に、世界中の人々が小さくライトにオーディオを楽しんでいるのです。それでも、専用リスニングルームやハイエンドオーディオの世界は、オーディオ好きの中でもごく一部の人しか知らない究極の世界です。
私は、家を引っ越す前からハイエンドオーディオで好きな音楽を楽しむことが何にも代えがたい喜びだと思っていました。また同時に、より多くの人々にこの世界を体験してもらいたいとも感じていました。その一つの試みとして、オーディオショウやオーディオショップでの空気録音がありますが、これはある程度の知識と環境がないと楽しめないマニア向けのコンテンツだと感じます。オーディオ界で非常に重要な意味を持つ空気録音も、普通の人の琴線には届かないのが現状だと思います。

そんな中でも、ハイエンドオーディオや専用リスニングルームで好きな音楽を聴く喜びや感動、音を感じる楽しみを、もっと多くの人に手軽に体験してもらえるようにするにはどうすれば良いでしょうか?もし、ハイエンドオーディオやリスニングルームで聴くような体験が、現在のワイヤレスイヤホンやヘッドホン程度のサイズ感やコストで得られるようになれば、これは革命と言えるかもしれません。なによりヘッドホンは、誰にも邪魔されることなく大金をかけることもなくスペースも取らず、誰かの迷惑にもなりにくいです。現代の都会的な生活にマッチした素晴らしい趣味だと感じます。そんな感覚で、今の大それたハイエンドシステムの音やリスニング感覚を多くの人が楽しむ方法は、果たしてあるのでしょうか?

「ハイエンドスピーカーからヘッドホンぽいリスニング感」の発現

そんな夢みたいなことを考えていたある日のこと、とあるブログのレポートが目にとまります。
kanata亭訪問記(1)
ハイエンドヘッドホンを楽しむYukiさんと、ハイエンドオーディオ&ハイエンドヘッドホンを楽しまれているKanata氏による異例のオフ会レポートです。異例と言っているのは、ピュアオーディオとハイエンドヘッドホンは、似ているようで全く違う趣味と捉えているのが常識であり、ヘッドホン界とスピーカー界は交わることがほとんどありません。ヘッドホン祭でハイエンドスピーカーが展示されてもあまり話題になりませんし、東京インターナショナルオーディオでハイエンドヘッドホンアンプが展示されてもそれもまた話題になりません。このヘッドホンとスピーカーというのは水と油に近い感じがします。

こちらのレポートの中で非常に興味深い一文がありました。それがこれです。

前提として私はヘッドホン専でずっとやってきたので、スピーカー試聴の経験は非常に少ないです。しかしkanataさんのCOLTRANE 3は、誤解を恐れずに言えば「ヘッドホンで普段聴いている時の感覚でそのまますっと自然に聴けてしまう」音でした。

引用元:

https://yuki3.hatenablog.jp/entry/2023/01/20/222915

オーディオマニアの常識の中でも一般的にも、スピーカーからヘッドホンの音がするわけがありません。”普通の人”なら、「それ、逆にそのオーディオシステムとやらでどんな音が出ているのか気になってしまう」と言うレベルだと思います。それでもLA SOURCEのYukiさんが聴いたKanata邸のCOLTRANE3のシステムは、どことなくヘッドホンのリスニング感覚に近い何かがあったようです。これがKanata邸独特のものなのか、Yukiさんの独自の感性なのか疑問に感じることは少しばかりあります。しかしながらここで、”高いレベルに煮詰めてあるスピーカーシステムでは”そのようなことがあるかもしれないと思ったのです。
3つの記事が公開された後、YukiさんとDMで話している中で、私が初めてオーディオルームで音楽をしっかりと聴いた際に、自分のスピーカーを鳴らしているにもかかわらず、なんとなくヘッドホンで聴いているような感覚があったことを思い出しました。そこで、実はハイエンドオーディオのリスニング感覚は、本来水と油のように全く異なるはずのヘッドホンでのリスニング感覚に近いのではないかという仮説がおぼろげに浮かび上がりました。
 そうこの「スピーカーリスニング感=ヘッドホンリスニング感」の大本はYukiさんです。

Youtube動画でのトッププロの発言とただの誤解と理論の超飛躍

そんなありえない仮説を胸に、興奮気味に見てしまったのが、DTM界でも話題になった一流エンジニアのYoutube動画です。その中で、ニラジ氏が非常に興味深い発言をしていたのです。1時間以上の長編動画ですがオーディオや音楽が好きなら見る価値はあります。

Youtube動画内でのニラジ氏の発言を抜粋します。

「インイヤーモニターってめちゃくちゃ精度が高いし、しかも骨にあたるじゃないですか?」
「すごいサイコアースティック的に身体が鳴るんですよ」
「でそれって、これ理論上の話しじゃ無いんだけど、体感の話しなんだけど
実はインイヤーモニターってこういうデカいスピーカーにすごい近い音すんですよ
「なんでかっていうとこのサイコアコースティック的に身体が反応するのが一緒だから
「ここでうちらが音量上げて身体に入ってくるエナジーがインイヤーモニターって簡単にそれができちゃってるんだよね」

【日本一稼ぐスタジオ】マイケルジャクソンからMay J/伊藤由奈までレコーディングし尽くした男、ニラジ・カジャンチ氏運営NK SOUND TOKYOに潜入!!!

22:49 ヘッドホンについて-プロはヘッドホン使わない説-NS10はどうなのか?

この抜粋の太文字部分だけを聴いたとき、「イヤホンで聴く音楽は、大きなスピーカーで聞く音と同じような音がする」と、読み違いました。そしてそのまま、「ハイエンドスピーカーから出てくる音はヘッドホンのリスニング感覚に近いといえる」と結論づけてしまいました。例えるなら、77+33が100に見え、57が素数だと直感的に感じたのです。
ニラジ氏の正しい意図は、おそらく、動画の流れ的に、YAMAHAのテンモニのようなモニタースピーカーを使わない理由そして、ニラジ氏がヘッドホンにてモニターを行わない理由を説いているだけであって、カナルイヤホンから大きなスピーカーの音質が出せるとは1mmも言っていません。(これについてはまだ正しく理解できていない可能性が高いので正しく説明できる人がいましたらご指導よろしくお願いします。)
しかしながら、そのとき、私の中でのハイエンドオーディオのリスニング感が、もしかして高級ヘッドホンのリスニング感に本当に近のかもしれないと、にわかには信じがたいことを考えていた矢先に、ニラジ氏の発言を曲解してしまい、トッププロが言っていることに間違いはないとこの説に”確信を持って誤信”しました。

その流れで、ヘッドホンからハイエンドスピーカーの音が出るのだとしたら、
「突き詰めたハイエンドシステムの音は高級ヘッドホンの音に近づくのかもしれない」と謎の確信を持ってしまいました。なにより日本でも数少ないハイエンドヘッドホンのシステムを追求しているYukiさんがそれに近いことを言っていますし、私もまた、オーディオルームにてスピーカーで聴いていてもヘッドホンのリスニング感に近い雰囲気を感じていましたので当たらずしも遠からずかなと考えていました。しかし実際は77+33は110ですし57は3で割れたのです。

”それ”が本当に事実であり共通の認識であるならば、何千万とお金と手間暇をかけてオーディオルームを作りハイエンドシステムを揃えてオーディオを楽しむよりも、ちょっと高級なヘッドホンシステムでオーディオを楽しんだ方がずっとコスパがいいですし、なにより今の時代に合った聴き方ではないかと考えました。しかしながらこの考えは、大前提がだいぶずれているのです。
私自身、オーディオ趣味に溺れるかのように没頭して10年以上が経ちましたが、最も音楽を楽しんでいた期間は、ちょうどHD800やTH900を買って聴いていた頃ではないかと思います。当時は、ヘッドホンブーム全盛期で、ヘッドホンメーカー各社が新時代のヘッドホンを次々に発売していました。その新しいオーディオを聴いたときの感動といったら、何千万もかけたオーディオシステムかそれ以上……音楽を聴く喜びに満ちあふれていた気がします。
オーディオ趣味はやればやるほどにコスパが悪くなっていくものです。初めて3千円のイヤホンを買って聴いた感動を超えるためには、次は1万円のイヤホン、その後は3万円のイヤホン……10万円のヘッドホンを買って……。そして、専用のリスニングルームでオーディオを楽しみ…。
これまでのオーディオ人生で、大きなアップデートが起こったときに感じた「圧倒的な幸福感」が数値化できるとすれば、初めてリスニングルームで聴いたあの感動の値は、HD800を買って聴いていたときと大体同じくらいではないかと感じます。これには、言っている私もびっくりです。誰もが羨むような究極のオーディオ装置である専用リスニングルームをもってやっと、初めて高級ヘッドホンを触れて聴いたときの満足感、感動と同じくらいにしかならないのです。コストにして100倍以上の差があるのにもかかわらずです。

【if】77+33=100が正しい世界線を考える

もしも、57が素数であり、77+33=100が成り立つみたいに、自分がHD800を買ったタイミングで満足し、そこでオーディオの追求を辞めていたら、どれだけ身軽になれたのでしょうか?もし、感覚的に「高級ヘッドホンの音=ハイエンドスピーカーの音」と結論づけることができたならば、オーディオの世界がどれだけ楽になるでしょうか?この結論は数学界のミレニアム問題「P≠NP予想」が解けるのと同じくらいの価値があるような気がしています。そしておそらく解決しない問題でもあります。なにより一部のオーディオマニアにとって、この理論を全くもってあり得ないし不快だとすら感じるかもしれません。しかし、現代では格差が広がり続け、混沌が増し、人々に環境に余裕がなくなっていく中で、自由にハイエンドオーディオを嗜むことが非常に難しくなっています。昔からオーディオを楽しんでいるマニアでさえも、オーディオに時間とお金をかけ続けるには息が詰まりそうです。もし、ヘッドホン=スピーカーの仮説が成り立つならば、ハイエンドヘッドホンでオーディオ趣味が完結できます。これは、非常に大きな意味を持つと感じています。

私がおすすめするオーディオのカタチ

オーディオ趣味は青空天井のような際限のないものであり、快楽の追求と飽くなき探究心と”慣れ”との戦いでもあります。オーディオにお金をつぎ込めばつぎ込むほどに、さらに強い快楽や、もっと高級な製品、もっと良い音を求める欲求が生まれます。どこまで行っても完全に満足することはありませんし、一度満足したと思っても、またさらに強い快楽を求め出します。
しかし、社会情勢的をみても、住宅事情的にも、ヘッドホンからスピーカーの音は絶対に出せない状況があることを考慮したとしても、そこそこのテレビとスピーカーシステムとまあまあ良いヘッドホンシステムで聴くことが、最もコストパフォーマンスが良いのではないでしょうか。リビングのスピーカーシステムと自室のヘッドホンシステムで、結構贅沢をして300〜500万円ほどかかるかもしれません。500万円という金額は、先ほど言っていることと大きく矛盾するように感じるかもしれませんが、リビングオーディオもヘッドホンシステムも、中華アンプから始めて、自作や中古品なども上手く利用しながら、5〜20年かけて徐々にアップデートを重ねていくことができます。また、オーディオは世代による性能差がカメラなどと比較して本当に小さいため、古いものでも良いものがたくさんあります。そうやってゆっくり楽しんでいけば、総額500万円近くかかっても、20年で割れば1ヶ月あたり1〜3万円程度でオーディオを楽しむことができます。これは、大人の趣味としてはまあまあ相場だと思われます。加えて、オーディオにはリセールバリューがあるため、飽きたら売却することができます。なにより、オーディオ趣味は慣れが早い傾向がありますが、一度揃えて大方満足したら、10年以上は余裕で使えます。去年亡くなった私の叔父さんもまた中古でオーディオを揃えながら本を読みハードオフでレコードを買い少ないお金をやりくりしながら生涯オーディオを楽しまれていました。そしてそんな伯父さんの様子がなんとなく私よりも充実しているようだったのです。

「300~500万円」というなぞの金額が出てきましたが、これは私がオーディオをやっていく中で最も趣味として楽しいと感じられたシステムの合計金額(定価換算)です。ちょうどDALIのIKON8をLuxmanのセパレートアンプで馴らしつつSTAXやHD800、Edition8などのヘッドホンでも楽しんでいた頃です。あのころ体調も良かったせいもありますが、最もオーディオも音楽も充実していたと思います。
もちろん人によってはトータル100万円で満足するかもしれませんし、やっぱり1千万かけたいという人も当然いるでしょう。オーディオ機器に大金を出したとしても、エッジを持たせることができるの人はごく少数なのかなと感じます。なにより私自身、人生でオーディオにお金をかけすぎたと、まあまあな後悔をしているわけです。オーディオ趣味は素晴らしい趣味ではありますが、趣味である以上はコスパは悪いと感じます。

まとめ

まとめると、私自身オーディオにお金をつぎ込みすぎたと感じることが多く、オーディオシステムへの投資は”そこそこ”で十分な可能性が非常に高いと感じ、その理由は社会情勢や日本の住宅事情、ライフスタイルの変化からもくるものであり、一度得たオーディオ趣味への期待感や満足感を超えるには2倍5倍10倍とコストが青空天井に高くなるので、突き詰めてやればやるほどにあまりにもコスパが悪くなってしまう。加えてオーディオをやることでの人生への付加価値は限定的なものだ。だから、ある程度のところで損切りに近い打ち止めが必要と感じ、そのラインは、自分が体験した中、そして、ハイエンドスピーカーシステムの音がヘッドホンでも似たような体験ができるのだとすれば、10~30万円程度の高級ヘッドホンや、トータル300万円くらいのオーディオシステムのラインにあるかもしれない。加えて、実際にこのあたりで感じたオーディオへの満足感や喜びは、専用オーディオルームを作っても完全に超えることは難しかった。なぜなら人は快楽になれてしまい、さらに強い快楽を求め続けるから。だから、もしも、1=2が正しい世界つまりヘッドホンの音=スピーカーの音が成り立つならば、これほどにうれしいこともないのでは無かろうか?それももしかすると未来のAIのような技術革新が可能にしてくれるかもしれない。

結論

1≠2
ヘッドホンの音はスピーカーの音にはならない
スピーカーの音もまたヘッドホンの音にはならない
それでもハイエンドスピーカーで音楽を聴くのは様々な理由から多くの人にとってキツくなってきたので、高級ヘッドホンで浮かれていたあの頃はよかっったなぁと懐古を始めてしまった。
それとアスペルガー特有の読み違いや勘違いは社会だと許されんらしいw

おわり