2017年11月4日にちょうど2年と4ヶ月と19日が経ちました。
この日付と時間は一体何なのかと誰も分からないと思いますが、とても意味のある数字ではないかと思います。

ちょうど今から2年と4ヶ月と19日前の2015年6月14日にG3 GIYAが我が家にやってきたわけでありますが、
その前にいた802D2はちょうど2年と4ヶ月と19日でG3GIYAに選手交代したわけです。

つまるところ、G3GIYAの保有期間があの802D2を超えました。

オーディオというのは常に慣れとさらなる刺激への欲求との戦いではないかと思います。
どんなに良いオーディオを買っても数日から数ヶ月で慣れきってしまうのです。
いつか交通事故に遭ったととして1年後も3年後も当時の恐怖感や痛みを覚えていることはありません。人間の脳はそういった強い刺激は忘れるように出来ているようです。もし忘れない人がいたらそれはそれで病気です。

あれから、ちょうど2年と4ヶ月と19日たったことが嬉しくも悲しくもあるそんな話です。

今年の3月にはDACをESOTERICからdCSに買い換えました。今年はえらく多忙でゆっくりオーディオに浸っている時間がないと言うのもありますが、あのRossiniに買い換えた時でさえも3日も経たずに慣れてしまって、自分でも結構衝撃をうけました。

高いオーディオに買い換えることそれを持つこと…それに意味はあるのかいろいろと考えをめぐらせてしまいます。
こんな気持ちで暇つぶし程度に高級オーディオを嗜んでいる身でありながら趣味としてのオーディオがどうにも面と向かってやりたいとは言えなくなってきたのです。

そんな中、GIYAはあっさりと802の所有期間を超えました。
さらにもう一つ前のDALIでは2年も持たず、かなり短かったと思います。
GIYAに買い換えると決心したとき、10年は買い換える必要のないスピーカーだと確かに思いました。

導入した当日では逆にやり過ぎたなと思ったりもして実は結構早く買い換えてしまうのではないかと、思ってしまうほどによく出来たスピーカーで、ある意味であまり心地の良い状態ではないような気さえしていました。

去年の今頃では800シリーズのD3シリーズが発表され、やはりB&Wは落ち着く音だななんて感じたりして、ああお買い上げですねなんて冗談を飛ばされたりしながら、いやいやGIYAで十分過ぎるほど十二分に満足していますと笑い飛ばしたり。

D3の発表がも少し早かったらD3買ってからGIYAを買うなんていう遠回りをしていたかも知れないと、GIYAを選んで良かったと思ったりもして。

そうしているうちにあっという間に2年と4ヶ月と19日が経ってしまいました。
しかし、あのときあんなに愛着がわいていた802とは裏腹にGIYAには未だ違和感がつきまとっています、音だったり外観だったりまだGIYAについて消化し切れていないことが沢山あるようです。

いや、それはGIYAだからなにか見えてこない何かがあるのでしょうか…?
スピーカー云々ではなくオーディオ趣味として煮え切らない何かを感じます。

GIYAを導入してからなぜかテストの答案用紙を読んでいたら時間が来てしまったくらいにまだ何もしていないような気持ちで一杯なのです。
一つに、導入当初から耳の調子がいまいち冴えない日が多かったことが挙げられるかと思います。体調が良くてオーディオ日和で耳の状態がまともな日というのは北陸の快晴ほどに貴重な日だったかも知れません。日常的に今もなにかしら音楽をかけてBGMとしていますが、本当にいまだにGIYAをしっかりと聴いていないのかもしれません。

さらに、とあるトリノフAmethystの回でこの部屋の限界が見えてきました。去年の夏、戸棚やふすまに防音シートを貼ったりして壁の強化や調音などをしていましたがどうにも家の構造や部屋の形がボトルネックになりそれ以上を超えることが出来そうにありませんでした。
何よりも専用ルームが先ではないかと考えるようになったのです。

そして部屋以上に、オーディオをこれ以上アップデートしても慣れてどうでも良くなってしまうのが目に見えているのです。やりこみすぎて飽きてしまってゲームのように行動を起こす前から買えた喜びよりも慣れてしまった失望感がオーディオをやるモチベーションを大きく下げてしまいました。
オーディオマニアはこうなってしまうと、自分のシステムを小さくたたんだりオーディオから離れていってしまったりすることが多いようですが、それをオーディオ的悟りの境地と呼ぶようです。

別に大きくシステムを買えたり引っ越したりせずにアクセサリーやケーブルなどで小さくオーディオと言う趣味を楽しめばそれはそれで良いような気がしています。
しかしながら、ケーブル変えて音が良くなった音が変わったと素直に喜べないような事情がいくつか出てきました。

音が変わったからなんなのだろう…???

なんだかよくわからないまま2年と4ヶ月19日が経ってしまったようなのです。

ハイエンドオーディオを見てこころを踊らせていた頃、こんなオーディオを持ってみたらどうなるだろうか、オーディオマニアとはなんなのかと考えていた頃。

オーディオにどはまりして、オーディオ趣味の辞め方を模索していた頃。

目標のシステムが完成してこれでいいやと思い出にふけっていた頃。

そしてよく分からないまま、オーディオをやっているのかなにをやっているのか分からない今日この頃。

普通の人なら、飽きたと考えてすべて売っていたかも知れません。
オーディオマニアならさらなる音源を探したりさらにスピーカーを買い換えたりしていたかも知れません。

それが自分ではとりあえず立ち止まってしまったのです。
しかし人というのは止まっているようでつねに動き続けます。それは自分以外の人も相対的に見れば大きく動いています。立ち止まっていたようで自分は大きく変わってしまっていつの間にかオーディオからかなり距離を取ってしまっていたように思います。

しかしそれがGIYAと向き合う時間を減らして、結果的にスピーカーを買い換えずに済んでしまったということでしょう。

車やバイクだったら車庫でも放っておいたら1年でタイヤの空気も抜けてボディも錆びて、エンジンも劣化していることでしょう。ペットだったら放っておいたら死んでいますが、オーディオは良くも悪くもかまってあげなくても変わらずそこで音楽を鳴らしてくれることをずっと待っています。

そうオーディオは逃げないのです。

ただ変わらずに存在していることが逆に興味を他へ簡単に移してしまう要因になってしまうと思います。犬がいたらエサをやって散歩に行ってとやりたくなくてもやらなければいけない事は沢山あります。しかしそうやっていくうちに新しいことに気づいたり気分が変わったりすることがあります。すぐに変わってしまうモノを維持するということは難しいようですが、離してしまったら消えてしまうと分かっていたら常に接触していなければなりません。ある意味で学校の中の友達のように適当に存在していても成り立つ関係性が言えます。

それがオーディオでは、放って置いて良いのです。誰も文句を言いませんし、自分も野郎とは思えません。社会に出ていつの間にか連絡を全く取らなくなった友達みたいにいつの間にか、自分の中からはみ出してこぼれてしまうような恐怖があります。

しかしそれ以上に、無理に考えたりやったりせずにもう離れて放置していても良いのではないかなと思います。
そうしたらきっといつの間にか10年が経っているような気がしています。
人の気持ちって、あっちへこっちへとゆらゆら安定しないものですから、そのうちまたオーディオがやりたいと思える日が来るんではないかなと。
何もせずとも時間というのは流れるものですから。

オーディオ趣味とは一体何だろうか?オーディオ趣味を深く探求できる人は多くないように思います。それをネット上に書き残すとなると前例はあまりありません。
オーディオと言う人生がどうものか身をもって体験することを目標にオーディオを始めたような気がしています。これがオーディオあるあるならば冷静に客観的にただ生きていくしかないのです。

なんともモヤッとする芯のない記事に仕上がってしまいましたが
何も言うことはありません。だた2年4ヶ月と19日が経ったそれだけの記事です。

おわり。