私が発達障害の診断を受けたのは16年前のことです。あれから「発達障害」という言葉がずいぶんと一般的になり、その認知度は増してきていると感じます。しかし、大手メディアが伝える発達障害のイメージは、主に子供たちのコミュニケーションの障害や強いこだわりなどに焦点が当てられています。発達障害でも多くの場合、成長するにつれて、症状やこだわりが徐々に緩和され、特に激しい症状を示す子供でさえも20代後半から30歳頃には大半が落ち着いてきます。また、アスペルガーの最も大きな障害とされているコミュニケーションの問題も、社会経験を積むことで徐々にスキルを身につけていくことで解消されることが多いです。これらの特性は、確かに一般的な定型発達の人々から見れば、異質であるし、コミュニケーションの特異性を感じることがあるかもしれません。しかし、クラス25人に1~2人、日本全体では約800万人とされる発達障害の当事者の多くは、多少の障害を抱えつつも、そのほとんどが”個性の範囲内”に収まっていると感じています。これは、発達障害を抱えていても社会の一員として十分に機能し、ある程度の普通の生活が問題なくできているのです。

 発達障害の当事者の多くが日常生活を普通に過ごせているという事実は、精神障害者手帳の交付数からも明らかです。日本には800万人以上の発達障害(ASD、LD、AD/HD)の当事者がいるとされていますが、手帳の交付数は113万人です。これには統合失調症、うつ病、てんかんなどの発達障害者以外の患者も含まれていますので、発達障害で手帳を持っている人はおそらく30~80万人程度だと推測されます。これにより、多く見積もっても発達障害者の10%以下しか障害者手帳を持っていないことがわかります。最近では精神科でも障害者手帳の発行が厳しくなってきていると聞きますが、明らかに就労が困難で服薬や支援が必要なASDやADHD、またはそのハイブリッドの人々に対しては、すぐに発行されます。私自身もその一人でした。手帳を持つ発達障害者の中でも、障害者枠やパートタイムで働いている人々もいますが、それは稀なケースです。

この「手帳を持つ発達障害者」の多くは、元々の身体の弱さや二次障害により、一般職に就くことやそもそも日常生活を送ることが困難になっているケースが多いようです。それでも、障害者手帳を持つ意義はそれほど大きくありません。手帳を持っているからといって就職が容易になるわけではなく、障害者雇用枠で楽に働けるわけでもありません。そもそも障害者雇用の枠は身体障害者が優先されており精神障害者はとらないケースが多いです。障害者手帳を持っていたとしてもその恩恵は、公共交通機関のバスや電車の運賃が割引される市営の体育館の設備が無料で使える程度で、私の場合は確定申告の際に少しの控除が受けられるくらいです。日常生活で得られる割引はわずかで、それ以外の点では普通の人と変わりません。障害者手帳を持っているからといって就職や生活面で優遇されるわけではないのです。

私が普段ネットやクリニックなどで発達障害者を見るとき、大きな視点としては、手帳を持っているかどうか、適切に働いているかどうか、日常生活を普通に送れているかどうか、という軸で見ることが多いです。しかし、大多数の人々は手帳を持っておらず、日々の食事や買い物などの日常生活に困っている様子はほとんどありません。前述の通り、手帳を持つ発達障害者は非常に少ないのです。したがって、発達障害が社会で大きな困難を引き起こすような障害だとは思えないのです。強いて言えば、個性が強いくらいです。大腸がんにもステージ1から末期がんまでの段階があるように、発達障害だったらステージ0か1の人が9割以上を占めていると感じます。
逆に、アスペルガーというだけで私のようにこんなに人生が苦しそうな人はそうそう見ません。私が通っているクリニックでは規模は小さいですが、累計で約1500人の患者さんがいて、私を含めてここまでの症状が重い人は2人程度です。

私自身は、小学校の頃から引きこもりがちで、幼稚園のころでも頻繁に体調を崩しあまり外に出たがらない子供でした。中学では体力がなく部活にまともに参加できず、友達と学校以外で遊びに行くこともなく引きこもり生活を送っていました。テストはしばしば保健室で受けていました。高校では普通高校に進学しましたが、途中で通学が困難になり、2年生の夏には教室には行かずに保健室登校となりました。それから15年以上引きこもり状態で、学歴もなければ職歴も一切ありません。ちょっとしたアルバイトすら経験したことがありません。それは、生活しているほとんどの時間で体調が悪いからです。特に外に出ると体調が悪くなり、ちょっとしたスーパーでの買い物すら毎週でも行けず、生活するための体力的なリソースがほとんどありません。今年、ヨドバシカメラに遊びに行ったら15分の滞在で寝込んでしまいました。ここ16年は県外に出ていませんし、ここ10年は市外にすら行っていません。今年出かけたのは、クリニックの受診と、美容院、映画が一回、家電量販店が2回です。
朝起きると、いつも見る悪夢と息苦しさ、気持ち悪さで1日が始まり、寝ているのにほとんど疲れが取れていないのです。これは、前日に外出などをするとさらにひどくなります。喉が腫れて微熱が出て、膝や股関節の痛みで母親に介助されながら起きて、やっとやっと階段を降りて、涙を流しながらなんとか朝食を食べます。日常の楽しみはほぼなく、悪夢を見ながら寝ているか、ちょっとした趣味の活動をするくらいです。この頃はアニメもたいして面白くないし、生き甲斐だった音楽を聴いても何も感じなくなってしまいました。

 発達障害の症状の一つとして、「反芻思考」という小さなトラウマが存在します。これは私の場合は、複雑性PTSDと診断されています。日常生活で起こった些細な不快な思い出を何度も思い出しては嫌な気分にさせられます。少し前に起こった嫌な人からの言葉や、過去に自分が犯した過ちなどを何度も思い浮かべては考え続けます。これは、定型発達の人々だったら全く気にしないような些細なことや、その場にいた人々が忘れてしまっているようなことを何度も思い出しては苦しむのです。私の中で最も古い反芻の記憶は幼稚園の頃まで遡り、忘れていた思っていた小学生の頃の記憶が未だに時折、反芻として出てくるのです。
最近では、インターネットで出会った嫌な人を日常生活の中で何度も思い出します。朝起きてその人のことを思い出し、トイレに行くとき、顔を洗うとき、朝食を待つ間、朝食を食べながら、薬を飲むとき、デスクをかるく整理するとき、オーディオの電源を入れたとき、昼寝から目覚めるとき、お風呂に入る準備をするとき、湯船でリラックスするとき、入浴後に疲れているとき、ドライヤーをかけるとき、夕食後にお腹がいっぱいだと感じるとき、暗くなった階段を上るとき、寝る前に歯を磨くとき、寝る前にメールをチェックするとき……ただひたすらに嫌な人のことを細部まで思い出し、当時のことを考え続けます。酷いと1日のほとんどを嫌いなその人のことだけ考えて過ごします。普通の人でも、同じテーマを数週間、あるいは何年にわたって考え続けることはほぼ不可能に近いです。1日の大半を嫌いな人のために使い、そのエネルギーの損失は相当なものでしょう。健常者でさえも、好きなことを1日、1週間、1ヶ月と毎回ずっと考えさせられたら、頭がおかしくなってしまうでしょう。
このような反芻思考、別名「こびりつき」や「ぐるぐる思考」は、セロトニンが少ないとか扁桃体が肥大しているとか、発達障害者の脳の特性によるもので、自分の意志で脳をコントロールする力が非常に弱いです。反芻思考に関しては、深呼吸、筋弛緩運動、薬、サプリメントなどで多少は改善されますが、それでも湯水のように湧き出てきます。しかも重度の発達障害でなくても反芻思考に悩まされることは多いようです。私の場合、特に、体調が少し悪いときには、腹痛だったり筋肉痛だったりの不快感に同調して濁流のように押し寄せてきます。嫌な思い出はこれほどまでにしつこく出てくるのですが、逆に、楽しかったことやうれしかったことは記憶から消されたみたいに薄くなっていくのも特徴の一つです。常に嫌なことを強制的に考えさせられているために、自己肯定感が著しく低いです。

それでも、社会に出て普通の生活を送ることを夢見て、少しでも体調が良くなるように、地獄のような反芻思考から逃れるために、この十数年間、健康を取り戻すために多くの努力を積み重ねてきました。様々な病院や医師を訪れて、多種多様な薬を試し、アレルギー検査から、様々な整体やサプリメント、食事療法や運動療法など、可能性のあることを一つひとつ試してきました。それでも、メンタルはある程度安定してきたものの、体調は一番近くのコンビニに通うほどの体力も回復しませんでした。この十数年間で得られたものは、体脂肪が一桁から10%前半になったこと、食事がそれほど辛くなくなったこと、体調を大きく崩す頻度が減ったことくらいです。また、この体調を良くするための努力は、社会では誰も評価してくれません。大きくマイナスになっているものを、少しのマイナスまで持って行きましたが、世間から見たらただの引きこもりニートだと笑われるだけです。
それでも、この絶え間ない努力のおかげで、入院生活や施設入りを防ぎ、ある程度は自宅で普通に生活できるようになっています。しかし、本当に得たかった社会的な普通なくらしとはほど遠く、週に一度の整体や訪問看護が欠かせません。
自助努力だったり家族の理解や支えがなかったら、だいぶ昔に施設生活になっていたと思います。そのくらい状況も体調も悪いです。
しかし同じような障害者手帳持ちの発達障害者だったり不登校やひきこもりの人たちを見ても、3~5年も経つとほとんどが社会復帰し、割と普通の生活をしていたりします。いろいろありつつも、大学に進学したり就職したり結婚したりです。そういう状況を見ていく中で、ただ真面目に自分も社会へ復帰しまともな生活をしなければならないと強く思うのでした。

少し前のあるとき、母親が国指定の難病に罹りました。しばらくは大変な状態でしたが、それもつかの間、治ることのない病気ですが、薬が効いて、難病なのに自分より明らかに活動的で元気です。それだったら、障害者手帳持ちASDのひきこもりの私は一体なんなのでしょう?難病指定の母より明らかに、体調も生活能力も低い私の病気とはなんなのでしょう?そしてこの障害者手帳は、いったいなんの意味があるのでしょうか? 母の難病と、今年のTwitterでの出来事でソーシャルスキルの低さと人とは違う明らかな異質さを実感し、それをきっかけに、私は、主治医に大学病院の紹介状を書いてもらうのでした。これまでも何回か大学病院や大きな病院への紹介状はもらっていますが、今回の行き先は、大学病院の脳神経内科です。 発達障害や複雑性PTSDだけでは説明できない、身体の不自由さは一体なんなのか、大きな疑問となって浮かび上がってきたのです。結果的に、CFS/慢性疲労症候群である可能性が高いかなと思います。主治医もCFSの認識で良いと言いますし、薬もここ半年CFS向けの処方に変えてみました。それでもなにか腑に落ちない部分はあります。まあ、慢性疲労症候群という病気自体が、非常に曖昧なもので、現代の医学ではっきりと診断をつけることはほぼ無理です。検査を一通り行いありそうな疾患を一通り否定した後、面談を行った上でCFSだと思われるという診断がでるだけです。PETや血液検査などではっきりとした診断ができたわけではないですが、下垂体~脳幹の付近で僅かな炎症が起きているようです。
この不調の主な原因は、CFS/慢性疲労症候群であると言うことになりましたが、この病気には根本的な治療法がありませんし、免疫療法については医師からは勧められませんでした。加えて、この病気は、社会での理解もない非常に苦しい病気です。それでもCFS患者の中では私は割と病状は軽い方ではあるのが救いです。同じ脳神経内科の患者さん達には、身体が不自由だったり余命が幾ばくもない人もいるのです。

 今更になって、この病気は治らないもので、いくら努力しても徒労であることに気がつきました。そうした瞬間、長い年月にわたり社会から離れてしまったこと、その結果、社会への復帰が一層困難になってしまっていること。家族や親戚、他人に自身の病状や困難を伝えることの難しさ、その中で生じる争いや偏見による生きづらさ。アスペルガー症候群特有の対人関係の困難さに加えて、ひきこもり期間中に本来得るはずだった社会経験やスキルの欠如を、今後、人並み以下の体力と精神力で克服しなければならないという過酷な現実。16年経ってようやく、健常者としての生活を完全に諦め、障害者として生きていくという新たな道筋を立てましたが、不安と絶望しか感じられません。なんとかある程度のところまでは社会復帰したいと願い努力しては心が折れてを繰り返してきたこの16年間。これまでの人生は一体何だったのでしょうか?と自問自答するばかりです。

学歴も職歴も社会経験もなく、体力もなく、病弱で、精神的に不安定な高卒のひきこもりが、どう生きていけばよいのでしょうか?考えれば考えるほど、詰んでいるとしか感じられません。それでも、日本社会でも知的障害を持つ人や、もっと重篤な難病で生きている人も同じ社会で生きています。今、自分にできることを考えると、まだ可能性はあるとは思いますが、途方に暮れてしまうのでした。