オーディオを趣味にしている人の中だけでも、オーディオを買いまくっている人、オーディオに飼われている人、オーディオで勝っている人様々だと思います。自分はどちらかというとオーディオに依存して飼われている人です。今日はそんなオーディオ趣味での勝ち負け「マウント」について考察していこうと思います。
昨年の6月から、今までにないくらいポーカーに没頭しています。サミーからリリースされた日本製のポーカーアプリ『エムホールデム』のサービス開始から早1年が経ちました。私は引きこもりの何もない人間の中では、かなり多趣味な方だと思います。しかし、趣味を長く続けると、例えばマジックの場合は手の腱鞘炎により演技どころか練習すらできなくなったり、オーディオの場合は耳の調子が悪くなったりと、趣味を楽しむ余裕や身体的な体力が限られていることに気づきます。今日は左顎の調子が悪く、顎の腫れで左耳が圧迫され、拍動音が鳴っていたりとストレスで寿命がマッハ。そんな中でも、一応気持ちを切り替えるためにブログを書き始めることにしました。ただ、指の腱鞘炎のため、ブログ執筆作業も少しやりづらいですが……。
オーディオ趣味の界隈は意外と平和であるが…
さて、ポーカーを本格的に始めてから1年が経ちました。実は、テキサスホールデムという競技に目覚めたのは2013年頃でした。ここのところ、ポーカーの専門書を買って読んだり、ポーカー系YouTuberの動画を見たり、アニメを見ながらテレビを観ながら、時間があればポーカーの勉強をしたりプレイをするという日々を過ごしています。Twitterでもエムホールデムやポーカー系YouTuberなどのポーカー界隈の人たちをフォローしたり、誰かのポーカーの様子をうかがったりしています。しかし、このポーカー界隈は勝負事であり、本来ギャンブルであるため、多くの人がかなり殺気立っているように感じます。他の趣味に比べて人間関係が非常にピリピリしていると感じます。Twitterを覗けば、毎日どこかで小さな言い争いがあったり、Yahooニュースに載るレベルの炎上を起こしたりしたり、最近では賭けポーカーで逮捕されるような事件も起きています。
そんなポーカー界隈を見ていると、オーディオ界隈の平和さに気づかされます。オーディオでは、単に人口が少ないだけなのかもしれませんが、多くの人が日々普通にオーディオを静かに楽しんでいると思います。ポーカー趣味から見ると、オーディオ界隈は非常に平和だと感じます。しかし、TwitterやFacebook、Youtubeコメント欄などのSNSを見ていると、気になることがあります。それがオーディオマニア同士のマウント合戦です。単にオーディオを楽しんでいるだけなのに、仲の良いオーディオマニアと交流をしているだけなのに、新しいオーディオを買っただけなのに、下からまた上の方から、ちょくちょくマウントがやってきます。それは金額に関することであったり、技術的なことであったり、耳の鋭さであったり、センスの良さであったり、年齢に関することであったりと、ニュアンスはそれぞれ異なりますが、オーディオマニアからマニアへマウント合戦が行われています。日本のピュアオーディオ市場は年々縮小しており、オーディオマニアの数も減少していますが、そんな小さな世界でもマウントの風潮は収まる気配がありません。
そもそもマウントとは?
「マウント」という言葉は、自分の優位性や優れた点をアピールし、他人を貶める行為を指します。オーディオ界隈だけでなく、他の趣味コミュニティでもよく見られるある意味普通の現象です。具体的には、他人よりも高価な機器を所有していることや、技術的な知識や経験に優れていることを自慢するために、相手を下に見せるような発言や態度をとることがあります。また、自分の意見や好みを絶対視し、それ以外の意見を軽視したり否定したりすることも含まれます。これによって、自分が上位の立場にあると主張し、他人を見下すような雰囲気を作り出すことが目的とされます。ただし、マウントは建設的なコミュニケーションや情報交換には寄与せず、むしろ人間関係の悪化や摩擦を引き起こすことがあります。より健全な趣味の楽しみ方やコミュニケーションを目指すためには、相互尊重と共感を大切にすることが求められます。
ⅰ.マウントをとる人の特徴
- 自己中心的な態度: マウントをとる人は、自分自身や自分の所有物、経験に対して過度に注目し、他人の意見や経験を軽視する傾向があります。自己中心的な考え方が顕著です。
- 優越感の表出: マウントをとる人は、自分が他人よりも優れていると信じ込み、それをアピールすることに重点を置きます。高価な機器や豪華な経験を強調し、他人を見下すような態度をとります。
- 自己主張の欲求: マウントをとる人は、自分の存在感や地位を主張したいという強い欲求を持っています。自分の意見や好みを押し付けることで、他人に自己の存在を認めさせようとします。
- 対立を引き起こす傾向: マウントをとる人は、他人との対立や論争を引き起こすことがあります。自分の主張を貫くために他人を攻撃し、自己を正当化しようとする傾向があります。
- 不必要な競争心: マウントをとる人は、常に他人との競争を意識し、優位に立とうとする傾向があります。他人の成功や喜びに対して嫉妬や妬みを感じ、それを際立たせるような行動をとることがあります。
ⅱ.マウントをとる人の深層心理
- 自己不安や自己評価の問題: マウントをとる人は、自分自身に対する不安や不満を抱えている場合があります。自己評価が低いため、他人に自分の優位性をアピールすることで、自己価値を高めようとするのです。
- 社会的な承認への渇望: マウントをとる人は、他人からの認められたいという願望が強い場合があります。他人との競争や優越感のアピールを通じて、自分の存在や才能を証明しようとするのです。
- 自己中心的な思考パターン: マウントをとる人は、自己中心的な思考パターンに陥りやすい傾向があります。自分の視点や利益を優先し、他人の意見や感情に対する共感や理解が欠けている場合があります。
- 不安や対人関係の困難への対処: マウントをとる人は、不安や対人関係の困難を抱えている場合があります。自己主張や優位性のアピールを通じて、自分自身を守り、他人との関係をコントロールしようとするのです。
出典:Chat GPT-3
オーディオを趣味にしている人たちとは?
オーディオを趣味にしている人たちはどのような方々なのでしょうか?ホームオーディオという分野は、高齢社会の現代日本を象徴するかのように、年齢層がかなり高めです。メイン層は50歳以上、60~70代で、40代が若者と言われてしまっています。しかし、オーディオを趣味にするには、ある程度の住宅環境と趣味に費やすだけのお金や時間などの余裕が必要です。オーディオマニアの平均年収は他の趣味と比べて高いと思われます。また、部屋にこもってじっくり音楽を聴くという性質上、年齢的にも性格的にもとても落ち着いている方が多く、知性も高い傾向にあると言えます。オーディオは自宅で一人でも楽しめる、のんびりとした趣味ですので、ご年配の方に人気があります。
さらに、オーディオ趣味の大きな特徴として、女性ユーザーがほとんどおらず、男性が9割以上を占めています。この点がマウントが発生する一番大きな要因と言えるでしょう。つまり、オーディオ趣味は比較的高齢で落ち着いた、ちょっとリッチな男性向けの趣味と言えるのです。
そんなオーディオマニアがマウントに走る理由を考察
一見すると社会的・金銭的な余裕と知性を持ち、落ち着いた男性が集まるオーディオコミュニティでなぜマウントが頻発するのでしょうか?ポーカーをやっていて気づいたのは、この趣味では勝敗がはっきりとつきません。オーディオのシステムには決定的な優劣が存在しないのです。なぜなら、出てくる音には普遍的な正解がないからです。一般的に測定上好ましいとされる状態は存在しますが、最終的には自分が好きな音楽や映画が自分の理想に近い雰囲気で聞こえるかどうかが重要で、完全に自己満足の世界です。このように、白黒がはっきりしない上下関係や、優劣が曖昧なオーディオ趣味では、おそらく”その曖昧さ”が人によっては、非常に心地よくないのだと推察します。その曖昧な状況の中で、なぜか、本能的に勝負に挑み、白黒をはっきりさせようとしてしまうのです。
ポーカーやスポーツなどの競技系の趣味では、直接対決して勝敗がつくことや、過去の実績などで優劣が明確になりやすいです。ポーカーならばヘッズアップ(1対1の対決)で勝負がつきます。運も関与しますが、勝敗が明確になることで心理的に落ち着くことができます。オーディオでもかけた金額や部屋の広さ、経験年数などを基準に勝負しようとすればできるかもしれませんが、音の世界はそんな単純なものではなく、オーディオマニア同士の優劣はそう簡単にはつけられません。逆に言えば、オーディオ趣味では上下や優劣をつける必要もなく、非常に平和な趣味であるとも言えます。
しかし、なぜ一見温厚そうなオーディオマニアが、優劣や勝ち負けにこだわるのでしょうか?これは男性社会と資本主義社会が生み出してしまった闇の一面だと思います。人類がまだ猿人だった太古の昔から、災害や飢饉、戦争といった困難を乗り越え、生存していくためには強くなければならないという本能が刻まれました。遺伝子には勝ち負けを求める本能が残り、淘汰の過程で強くなろうとする遺伝子が残存してきたのです。この本能は生物史の過酷な環境と、それを元に作られた資本主義社会がもたらした勝負事を好む傾向と関連しています。人類の歴史において、他のオスに負けても構わないとか、弱くてもいいと考える個体は、食料を奪われたり争いに負けたりして淘汰され、絶滅してしまったことでしょう。現在、私たちが生まれてきている時点で、生存競争というトーナメントに勝ち進んできた『勝ち遺伝子』を持っているのです。
オーディオ趣味とアスペルガーと教育の深い関わり
そんな人間の本能に加えて、オーディオマニア特有のアスペルガー気質が、本来とても温厚なオーディオマニア同士をさらにマウントに駆り立てていると感じます。これは私の偏見も含まれるかもしれませんが、多くのオーディオマニアの特徴として聴覚の敏感さや同じシステムで同じ音楽を何度も聞いたり、また少しずつ条件を変えて同じ音楽を聞き比べたり……。「感覚過敏」「繰り返し」「拘り」などのアスペルガー気質の特徴を持っていると捉えられます。また、アスペルガー気質の人々は定型発達の人より運動が苦手な場合が多く、インドア趣味を好み、群れることを嫌い一人でいることを苦に感じにくい傾向もあり、部屋で一人、音楽を楽しむオーディオ趣味との相性が良いです。
しかし、オーディオ趣味と相性の良いアスペルガー気質は、同時に現代のオーディオ趣味を難しくしている要因でもあると感じます。アスペルガー気質の人々はコミュニケーションの困難さ、普通の人にはない神経質さや自己肯定感の低さがあり、社会的な困難さと、マウントの発生に繋がっていると考えられます。加えて、現代社会ではコミュニケーション能力が重視される傾向があり、アスペルガー気質の人々は定型発達の人々と比べて社会的に不利な状況に置かれ、強い劣等感を抱きやすいです。
また、オーディオ趣味の性質が、劣等感をより強くしてしまっていると感じます。オーディオ趣味の基本は比較することです。新しく購入したオーディオ機器と古い機器の比較、電源ケーブルの違い、新しく出たハイレゾのマスタリングの違いなど、さまざまな要素の違いを吟味することがオーディオ趣味の楽しさの一要素です。しかし、この「細かい違いの比較」の習慣が、TwitterやSNS上のオーディオマニアに不幸をもたらしていると言えます。ネット上で他のオーディオマニアを探せば、自分よりもお金持ちで広い部屋を持っていたり、工学知識や音楽的教養が豊富な人、行動力のある人など、自分より上にいる人々が容易に見つかります。そして、本能的にそのような「勝てない存在」と自分や自分のオーディオシステムを比較してしまうのです。これはオーディオ趣味に限らず、現代のネット社会で起きている不幸です。本来、比較しなければどうということもないのに、本能的に比較してしまうのです。
オーディオマニアには、アスペルガー傾向がみられますが、最大の問題は、精神医学的な知見のない時代に受けた昭和の教育の影響です。現代では、いじめや体罰が大きな問題として報道され、社会的に重大な問題とされています。しかし、現在のオーディオメイン層である昭和時代にはいじめや体罰が日常的に行われ、弱者や多様性への配慮を欠いた教育が行われていたのが現実でした。資本主義の元、競争と勝利に重点を置き、効率やスペックだけを求める教育が主流でした。そんな教育を受けてしまった人の多くは、アスペルガーであることをうっすら自覚しながらも、その特徴や対処法を全く知らずに退職し老後を過ごしている人が大半だと思われます。ある意味、勝ち組とも言える存在であり、個別の教育を受けられなかった時代の犠牲者とも言えましょう。
高齢者のアスペルガー気質は、本人や周囲に気づかれないことが多くありますが、その特性がマウントに大きな影響を与えているように感じます。アスペルガー気質は、あらゆることに白黒はっきりさせたい、0か100の思考を持つ傾向がありますが、オーディオ趣味のような明確な勝敗がつかないことと相まって、神経質ゆえに他人より劣っているのではないかという恐怖感(=自己肯定感の低さ)がマウントへと駆り立てます。これまでの人生で他人より強くあらなければならないとすり込まれているため、他人に対して自分より優れていると感じてしまうと、「あの人より劣っているから自分はだめな存在だ。」「こんなにお金をかけているなのに自分よりお金かけていない人に負けている気がする」「自分のオーディオはあの人よりずっとしょぼい気がする…。」といった妄想に囚われてしまいます。その結果、SNSなどで他人がオーディオ趣味を楽しくしているのを見るだけで、勝手に自信を失い、不安を抱き、自尊心を回復するためにマウントに走るのです。
マウントを激しく競う行為そのものは、現代社会において男性として生まれたからには、家庭を持ち一家の主として多くの収入を得て、立派な地位を築かなければならないという男性社会や資本主義の価値観からくるものが大きいと思います。現代の若者が弱々しく女々しく見えるのは、これまでの男性たちが過度に攻撃的だったためとも言えます。近年の文明の進歩により、激しい戦いをしなくても生きていける環境が整ってきました。特に日本では治安が非常に良く、人々も世界的に見て礼儀正しくおとなしい傾向があります。
SNSでマウントに出くわしたら?
なので、やたらめったらマウントをとる人を見たり、実際にきつくマウントをとられてしまったら、ひとまず冷静になり、「ああ、あの人は現代にアップデートできなかった空虚な旧型の人種なんだな」と優しく見守るといいでしょう。もし若者がマウント行為をやっていたのなら、優しく「それは自分自身も傷つけている見苦しい行為だよ」と教えてあげることも必要かもしれません。恥ずかしながら、自分も以前は知らず知らずのうちに本能的にマウントとってしまっていました。そういうマウント行為は、端から見たら見苦しくても、自分自身では意外に気づくことが難しいものです。
本来、オーディオ趣味を楽しむ上で、マウントを取る必要は全くありません。社会人になったり、老後を迎えても、自分の好きな趣味があるだけで、何もない人よりも素敵で充実した人生を送っていると思います。さらに、恵まれた現代の日本では、スマホを持ちインターネットが使え、居場所があり、オーディオを趣味としている時点で既に負けていないのです。もし負けているとすれば、それは自分自身の気持ちだけです。普段の生活では忘れがちですが、自戒の念も込めて言えば、ウクライナや北朝鮮の一般市民、中国の農村部などと比較しても、現代の日本は非常に恵まれていると言えます。そもそも、オーディオ趣味で優劣を競うことは、本当にどうでもいいことなのです。近年、オーディオ機器の価格が高騰し、給料は増えず、多くの人が行き詰まり感をいだいているかもしれません。そして、自分の望むようなオーディオ機器は到底買えないと思っている人も多いでしょう。しかし、オーディオ趣味は、どんなに高性能で高価な機器を買っても真の満足感を得たり、終わりが見えることはそうそうありません。どんなに機材でも音楽でも体験でも欲しかったものを手に入れても、人間の欲望には限りがないため、そもそも快楽をオーディオに求めるべきではないと思います。オーディオに快楽を求める行為は、コストパフォーマンスが極めて悪いと言えます。
マウントに疲れた人へ究極の対処法
それでも、雑多な人間社会ではマウントは絶えません。本当にマウントを取られるのが嫌な人や人間関係が煩わしい人は、とにかくSNSなどをやらずに一人で静かに自分のオーディオを楽しむことが最も手軽に自分の世界の平穏を手に入れる最高の方法だと思います。無駄なことをしない選択をすることで、何百万何千万もするオーディオで音楽を聴くよりもはるかに素晴らしい体験ができると感じます。実際、私がブログを書くだけでも変な人に絡まれる可能性を引き起こしてしまうことがありますので、現代のネット社会では、何もしないことが実は最も有益な選択だと言えるでしょう。逆に言えば、Twitterなどで何かつぶやいた瞬間には、その期待値(EV)がマイナスになってしまうかもしれません。Twitterは時間を浪費し、無駄な消耗を繰り返すだけで、あまりプラスにはならないですよね。ネットの世界では、インフルエンサーでない一般の人なら、雄弁さは銀、沈黙は金と言えるでしょう。
以上がポーカーやっていて感じた、オーディオ界隈でのマウントについてでした。これについては、現実はもっと複雑でありオーディママニアそれぞれが違うものであり一色単に語れるものではないとは思います。大体の傾向やおそらくこんな背景があるのではないかという考察でした。
オーディオに限らず、趣味の界隈ではSNSによる自己肯定感の低下と、マウント行為が非常に大きな問題となっていると感じます。ネットで不特定多数の他人とやりとりする以上、トラブルやすれ違い、勘違いなどは避けられませんが、少しでも無駄な争いや消耗がなくなってくれたらいいなと思うこの頃です。なんてたって趣味は仕事ではないですから、趣味で消耗していたらもったいないです。趣味で劣等感が刺激されるならやらない方がマシなくらいだと思います。