音楽とオーディオに生かされてきた。
記録的な暑さが続いた8月が終わったと思えば台風続きの変な天気の9月が過ぎ去ったと思えば、10月台風一過で真夏のような猛暑に見舞われた。ここのところ天気があまりに酷い。気分はずっと冴えないままふらふらの状態で数ヶ月を過ごしていた。 この頃異様に体調が悪いのだけど、天候のせいかなと思っていたがどうやらそうでもないらしい。
ある初夏の日のこと、台風が接近しているのを確認していると耳の調子が悪い。素人目に見ても、鼓膜の圧力を調整している耳管の働きが鈍っているのが分かった。少し焦って耳鼻科へ駆け込むと聴力検査と鼓膜の動きを見る検査を受けた。診断は、耳管が開放しているとのことだった。検査結果を見ると鼓膜の動きは少し悪いくらいで、グラフの二つの山は0に近い位置におりなにか処置が必要とかそんな感じではなかった。耳管の開放により耳がえもゆわれぬ不快感をしばらく感じつつも、検査結果を見て少し安心したあと3日も経たないうちに耳の機能は元に戻った。
しかしそれからというもの、台風や大型の低気圧が接近すると耳に圧迫感を感じるようになった。台風で言えば沖縄のすこし南あたりに台風が来ると耳の不調で気づく。まあいろいろと今具合の悪い時期で忙しい時期であるし、焦らずいつも通り過ごしていたらそのうち何とかなるだろうと思っていた。
それが、どういうわけか月日が経つほどに音に違和感を耳に異変を感じてしまうようになっていた。音楽を聴いても心地よいとか、楽しいとかほとんど感じないまでに。それどころか、音量を上げて音楽を聴いていると耳に軽い鈍痛のようなものを感じるようになってしまった。そうしているうちにGIYAで音楽を聴く時間はどんどん減っていき、終いにはiPadのスピーカーが最も心地よく音楽が楽しめるまでになっていた。
ある日のF社での打合でのこと、
社長「夜はどのくらいの音量でいつもきいてます?」
み「ああ、夜はもうiPadできいてますね。」
社長「えぇ……(困惑)」
社長はなにかいけない事をきいてしまったかのような顔で数秒硬直した後、自分もまたここでは絶対に言ってはいけないことを言ってしまったことに気がついた。
しかし困ったことに、この頃聴きたい音楽が頭にふとことがなくなり、新しい曲を聴きたいとも思わなくなり、オーディオをやっていると言うこと自体がなんなのか分からなくなってきた。すこし、リスニングポントのエコーネスのチェアに座り、オーディオチェック曲をかけたりもするけれど、数曲きくともういいな。となってしまい最後には無音が恋しくなってくる。秋になると、夏休みが終わって秋の風が心地よい夜。静かになった部屋に外の庭からコオロギやら虫が鳴いているのが心地よく感じられた。
なぜこんなにも音楽が聴けなくなってしまったのだろうか?
いや聴けないと言うより、”聞こえない”と言った方が良いかもしれない。というのも、自分にとって音楽とは生き方そのものであって、NO Music、NO Lifeであることは明白だ。
ここ10年ほど、家で過ごす時間がほとんどになり、音楽漬けの生活を送っていた。身体がだるくて、椅子に座っているのもしんどいし、本を読むのもまたあっというまに頭が痛くなってマンガすら楽しめない。自分は目がすこし弱い、視力こそ1.2ある物のちょっとした刺激ですぐに目の奥が痛み出す。そんな時に救いの手を差し伸べてくれたのが音楽だ。絶望的な状況で最後の最後に残った娯楽こそが音楽そしてオーディオだった。iPodが発明され普及してからというもの肌身離さず入院先でもいつも持ち歩き音楽と共に生活をしていた。いつでもどこでもどんな体勢でも楽しめる音楽というのは大変に重宝したのだ。
音楽を聴くことが日常になった。しかしある日それが、悪夢と化す。2011年の3月のこと。秋アニメと冬アニメの主題歌やら好きな曲を毎朝聴いていた時期があった。あの大地震を境に自分の中で音楽が一変した。福島にいた兄弟が実家に帰ってきた影響もあり、静かで落ち着いた曲ばかりを意識的に流すようにしていた。あの震災のドタバタの中で、平常心を取り戻そうと必死に音楽を聴いていたのだ。
それから数ヶ月たった頃だろうか、あの頃きいてた音楽を全く聴かなくなってしまった。いや聴けなくなってしまっていた。ちょうど朝にルーティン化していたプレイリストや落ち着くために聴いていたヒーリング系の曲やリラックスできる好きな曲が聴けなくなった。当時の記憶と音楽とがリンクしてしまいどうにも曲を聴くだけでタイムスリップ現象が起きてしまうことが分かった。しばらく新しい曲だけを聴いて一部の音楽を心の奥底へ封印した。
それに気づいてからというもの、音楽が”消耗品”であることに気づかされた。ある日のオーディオショップで「ポップスを聴くのか君は、すぐ飽きちゃうよJPOPなんて。」そんな偏屈爺の戯言が思い出された。音や匂いというのは、そのときの記憶と結びつきやすいのはよく知られてはいるが、こうも簡単に”音楽が腐敗してしまう”ことに驚きを隠せなかった。
そのころから、音楽を意識的に選んで聴くようになった。大事な曲は出来るだけ聴かないように。好きな曲を迂闊に聴かないように……。なんだかそれが、自由を奪われたようで音楽の楽しさを失ってしまった。自分の音楽があの大津波と一緒に流されたような気持ちで、心にぽっかりと大きな穴が空いてしまったようだ。
そんな状態でも、オーディオの方は活発的に続けていた。2013年に802Diaを導入したり、2015年にはG3GIYAをお迎えした。オーディオシステムは年増にグレードアップしていき音は以前とは比べものにならないくらいに立派で間違いなくいい音で鳴っていた。
はずだった。
異変を感じ始めたのはGIYAを導入した2015年のこと。なにか聞こえが悪いというか、空間認識が甘いというのか、あのときF社でGIYAを聴いた時とはまるで違うスピーカーで聴いているようだった。しかし、アンプやプレイヤーも全くの別物であるし部屋もまた大きさや素材何もかも違う。同じ音が出るはずがないのだ。だから耳云々よりもオーディオシステムを整えることに躍起になっていた。
それから1年2年と月日は経ち…それでも唯一の楽しみでありミッションでも音楽を聴き続けそれに併せて、オーディオだけはとにかく立派になった。誰にでも自慢できるほどに、いいオーディオで鳴らしているのは間違いない。しかし、なぜだか”音楽”が聞こえてこないのだ。スピーカーから発せられた音は耳まで届くがそこでブロックされ脳にまで入っていかない。トラウマからピアノの音が聞こえなくなってしまった四月は君の嘘の有馬公生を思い出した。耳で止められた音はガラス細工が内耳で砕けたみたいに耳の奥に鈍い痛みをもたらした。
オーディオをやるという確固たる目標の下、音楽を聴き続けてはいたものの、どうにも耳の調子は良くならず、苦悶した日々を送っていた。人間の身体のピークはおおよそ20歳あたり、それから先は能力が落ちていくだけだ。17歳の頃18kHzまできこえていたモスキート音は今どこまできこえるだろうか。なんとなく耳が膜を張っているような、すこし痛みがあるような、違和感をずっと抱えて頑張って音楽だけを聴いていた。
気候が荒れに荒れた今年の夏、逆流性食道炎が酷く悪化していた。夜中に胃酸が激しく上がってくるし朝には口がかなり苦い。しばらくしていると耳の痛みが激しくなって、これはさすがに中耳炎かなとおもってまたあの耳鼻科へ行った。自分が調べた話によると、逆流した胃酸は耳管を通って内耳まで侵入することがあるらしい。馴染みの整体師さんへ話すと、耳の不調って言うのはいわば一種の小さい眩暈のだから具合悪いだろうね、一度耳鼻科へ行った方が良いよと軽く諭された。
またいつもの聴力検査と鼓膜の動きの検査そして、内視鏡で鼓膜の様子をじっくりと観察された。結果的に言ってしまえば、検査結果はいつも通り普通だった。聴力検査だけを見たら10代並みの聴力でモスキート音も十分にきこえているだろうと先生は言う。内視鏡で見た鼓膜もまた中耳炎とは言えず綺麗で健康そのものだった。
先生「気にしすぎじゃないかな~。……」
気にしすぎている。確かにそうかもしれない。オーディオをやっている上で耳の状態というのは常に気を張ってしまっている。しかしそれ以上に耳に音が触れると痛いのだ。そんな中、とある医師は、言う。
「過剰摂取の状態なんだと思う」
というものも、自分は感覚過敏を持っている。匂いですぐ吐き気が来たり、ゲームで簡単に酔ったり、ほんの些細なことで疲れて具合が悪くなってしまう。そんあので映画館だったりカラオケだったりそうそう簡単に行けない。故に音量や曲を自由に自分で調整出来るオーディオ機器というのが本当にありがたい存在だった。長らくオーディオと関わっていて、特にヘッドホンやイヤホンでの爆音で難聴になることは熟知していたし、そもそも具合が悪くなってしまうので普段聴いているボリュームはひとより二回りは小さめにしている。それでも音楽を聴き続けることで、耳と言うより神経系や脳が疲弊しているのかも知れない。
思い立ったのが先週の土曜日。一切の音楽を聴くことを止めることにした。
つづく。