G3 GIYAを導入して早2年。
あと数ヶ月であの802Diaの所有期間を超えようとしています。
いつの間にか過ぎたその時間は、あのGIYAの流線型のように
自然体に意識することなく気づいたら2年以上の月日が経っていました。

ローレンスディッキーが生み出したVIVID AUDIOのGIYAというスピーカー
形を見ても音を聴いてもそれはもはやスピーカーの域を超えているのではないかと思う。

G1GIYAの試聴の回でも書いてはみたが、このGIYAというスピーカーのフォルムについて書き出したら本当にきりがないくらの感情がこみ上げてくる。

その奇抜で圧倒的、超自然的で宇宙的なフォルムは
人の手によって作られたとは到底思えない不思議さを兼ね備えている。

というのも、GIYAというスピーカーはご存じの通り、
音響学を元にコンピューターシミュレーションによって作られたスピーカーであり
そのすべてには音響的な意味がある。

ゆえに、GIYAを理解することは、宇宙の法則、この世界の存在そのものを理解することに等しいと感じる。
だからこそ120cmという高さのスピーカーのなかに無限とも思える思想が感じ取れるのだ。

以前、802Diaを所有していたとき、その面白い姿形から写真を何百枚と撮って
時にはデッサンやクロッキーのように描いてみたりしながら802への理解を深めた。
その結果、現在のC+Zブログの写真に入っているウォーターマークが完成した。
自分でかみ砕いて消化した802の完成形がそれである。

つまるところ、802については鳴らしただけではなく、
自分なりではあるが、この802というスピーカーについて
いくらかの理解をすることが出来ていた。

 それが、GIYAではどうだろう?

絵に落とし込むことがあまりに困難なのだ。
全面光沢のある塗装がされ、自由な曲線であるがゆえの難しさである。

しかしそれだけではない。
GIYAを表現するための手法というのが
普通にそのままスケッチしただけではどうにも表現できないのだ。

A4コピー用紙へ幾度となくGIYAを描いてみたのだが
これがGIYAだと思えるような線やフォルムはどうやっても出すことができなかった。

オーディオマニアでさえもが遠慮したくなるようなその存在感は
ただ見た目が奇抜だからという理由だけではないようで、
その奥にある理念が人間にある思考では追いつかないほどに
GIYAのフォルムは人知を越えた高次元的存在であると思う。

しかしながら、GIYAをこう毎日見ていると美しいと感じることがある。
GIYAとは、美しさとは何か、考えることにした。

曲線の美しさ、宇宙的な常識を越えた美しさ…

楽譜に使われているト音記号のような線の滑らかさなのか
楽器で言うところのホルンやチューバといった金管楽器的な美しさ
GIYAを見ていくとフォルムからも音楽性にあふれていることが感じられた。

しばらく考えていくうちに、GIYAに対する表現方法が纏まってきた
まず、GIYAの美しさとは女性的で母性を感じるラインの美しさ
そして、無駄を感じさせないナチュラルなフォルム
宇宙人的でありながら宇宙の絶対的な法則のもとで作られた人間的な美しさなのだ。

 

平面上にGIYAという概念を再構成する作業

またしてもA4コピー用紙に向かった。
まずGIYAの曲線を出来るだけそのまま表現しようとした
(1 2-a 2-b 3-b 7c)

GIYAを構成する記号的な要素だけに絞って描いてみた
(3-a 6-b 6-c)

描いていくうちにそのまま見たままを描くだけでは
到底GIYAに近づくことは不可能だと感じ
3次元的な構成を一端止めてGIYAの要素を自由に画面へ配置した
(3-c 4-c 5-a 5-b 6-a 6-b 6-c 8a)

描いていくうちにだんだんと自我を失っていく様に感じられた
まるで夢の中で自分がほどけていくような感覚だ。

冴えない美大生のワークブックのようでありながらも、GIYAの方向性が見えてきた。

GIYAとはエンクロージャーが主題であるようで実は
5つのユニット浮かせている台という存在でしかなく
しかもユニットもまた音を演出するための影の存在である。
GIYAの流線型はアブソーバーチューブと呼ばれ消音管の役割を果たしている。
いまさらすぎる説明ではあるが、この解釈が非常にやっかいで
その形で存在することにより、その存在はないに等しく幽霊的存在なのだ。
ゆえに6-bのような発想が出てきた。

存在を消すために存在している匣。
故にアブソーバーチューブの音はブラックホールのように直接観測することが出来ない。

GIYAを捉えるには、見た目のフォルムだけを追うだけでは
GIYAという存在を表現しきれないと感じGIYAの持つ表現力を加えようと
そこにGIYAの音というないものを加えようとしたところさらなる困難にぶち当たった。

ヒントを与えてくれたのはあのピカソ

かのピカソの名画、泣く女

この常識から逸脱したトリッキーな肖像画は
多次元的な構成で非常に感情豊かに表現され、
それはGIYAに近い何かを感じる。

GIYAの持つもう一つの美しさとは無駄のないシンプルさであると言える。
多方面から見たGIYAを一画面へ収めつつ
さらにシンプルな曲線で表現しなければいけないと思う。

あるときiPadProを導入して以前に増して楽に落書きが出来るようになった
環境で生み出されたのがこれだ。

GIYAを捉えること

GIYAとは、人の外側へ踏み出した初めてのスピーカーであると言える。

ピュアオーディオの進化を促進させるなにかに気づくことかもしれない。
もっといえば、人類のさらなる進化に気づく時なのかも知れない。

常識にとらわれるな。そんなことをイノベーターはよく言うが
人間である以上、人らしさからは逃れられないと思う。
故に、コンピューターシミュレーションという人知を超えうる手法に
人は激しく心を動かされるのだと思う。

技術革新には、不適合がつきものである。
わけの分からない物は恐ろしいしやはり人は意味を知りたがる。
全く新しい何かというのは理解しがたく受け入れがたいのだ。

もしかしたらまだ誰も見たこともない形や音が
いままでの世界で幾度となく誕生していたかも知れないが
人がまたそれを否定して気づかずに見過ごしてしまっていたのかもしれない。

コンピューター技術の革新により様々な分野で
今後もっと不可解な何かが世に出回ることが予想できる。
はたして人はそこに辿り着くことが出来るのだろうか?

つづく