軽い気持ちで、前回の記事を書いたら結構反響があって驚いています。
とりあえず、オーディオから離れ、音楽を聴くことを”止め”てみました。

時にひとりになりたくて
旅をしても心は埋まらない
そして大切な人に気づくよ

いつもいつもそううまくいくとは限らない毎日
だけど笑って

Friendship/岡崎律子

音楽中毒者が音楽をかけるるのを止めて聴かないとどうなるのか?
このオーディオ沼から離れることは出来るのか?
少し見えてきたオーディオとは?

★前回のあらすじ
年々感じる音楽との不協和音
低気圧が来ると耳が圧迫されてペコペコ鳴り出す
たまに来る謎の耳の痛みと耳鳴り
豪華になるオーディオと反比例する聴力感
音楽を聴くのが辛くなってきた

オーディオやめた!

耳が疲れている、心も疲れた。まずは休めるにはどうしたら良いか考えました。
耳を酷使し騒音性難聴に鳴りやすい職業と言えばやはり、サウンドエンジニアだと思います。そこで、「耳 休める DTM」で検索してみました。

【耳栓】音楽稼業の耳の健康事情【難聴】
耳のダメージへの具体的な対策方法は「音を聞かないで耳を休める事」しか存在しない。

はやり決定的な耳への治療というのはあまりなく、音を聴かない当のが最も簡単で効果的な治療方法らしいです。
耳鳴りや耳管閉塞もしくは開放といった症状もまた決定的な解決方法はなく、ホワイトノイズやたき火の音などリラックスできる音を小さくかけてごまかすとかその程度の方法しかないようです。

目次
1.音楽止めた一週間の記録
2.オーディオを一時再開
3.見えてきた音楽とオーディオの必要性
4.自分のキャパシティ
5.聴力と音楽を聴くこと
6.おわりに、これから。

1.音楽止めた一週間の記録

ある日を境にばっさりと音楽を聴くのを止めてみました。
ルールとしては、スピーカーで音楽を聴かないこと、音刺激を極力減らすことです。
それまで隙あらば何かをかけるという生活習慣からなにも聴かないという変化にまるで禁煙のような辛さを感じました。一週間ばかりの記録です。

え?一週間だけと思われた方は普通の働いている方です。
普通に働いている方でしたら、5日か6日働いて休日にじっくりと音楽鑑賞したり溜まったアニメを消化したりしているとは思いますが。
自分の場合は、日中やれることがアニメを見る音楽を聴くくらいしかないので音楽を抜いてしまうと、1日の半分以上の時間がほんとうになにもしない時間になってしまいます。

今の主治医のドクターから音刺激を減らして見たらと助言をいただき、帰ってきたその日から音楽を止めました。
音楽が部屋から完全に止むと、まずは鼓膜の圧迫感が気になり出しました。音刺激がないことによる内面の表面化だと思います。音圧により刺激されていたことによる耳の違和感ともまた違う耳奥のなんともいえない不快感にこの先音楽レス生活が持つのか不安になりました。

しばらくすると耳の圧迫感は消えたものの今まであったなにかがごっそり抜け落ちた感じになり、頭の中のメモリが解放されたようで1日が異様に長く感じられました。それはまるでなーんにもやることのない”あの病室”にいるような気持ちです。「そうかこれは治療なのだ。」そう言い聞かせていつもより一時間早く寝るようになりました。

いつもの習慣でPCへ向かうとiTunesをいじってしまいそうになるので音楽関連のソフトは全て閉じて、アニメを見るときだけフルレンジのスピーカーを使ってギリギリ聞き取れる小さい音で見ます。
しかし小さな音でアニメをちゃんと見ようとすると逆に耳が集中モードに入り耳の違和感が一際気になるようになってしまいました。少しうるさくなりますがアニメを見るときだけ音量をすこし上げてやると耳の違和感が消えます。

ただ単に音を小さくすれば良いというものではないようです。

音楽は聴きませんが1日のルーチンはそのままなので、毎日の作業ノルマはいつも通りこなしていきます。
ただ、音楽がない状態での作業は思いの外苦痛でした。いつもなら「さて、今日は何を聴きながらやろうかな」と儀式的に考えるところですが、準備体操を飛ばされたような感覚です。
また、作業自体は誰でも出来る簡単なものですが、どうにも音楽無しでは捗りません。すぐ中断してしまいますし、なによりやる気があまりにも出ないのです。音楽を聴いていたせいで耳の違和感が~と言いつつも、痛み以上のなにかが作業をする上で必要なようです。

音楽を聞きながら作業をすると、記憶力・集中力が上がる(米研究)
集中力が高まり、さらにその状態を長時間維持するのに役立つ

さらに日中いつも通り過ごそうとしてもなにかうまくいかなくなってきました。
家の外から内からうるさいのです。うるさくて落ち着きません。それどころか今まで気にならなかったような些細な音が気になって仕方ありません。いつも昼寝をしている時間でも眠ることなく1日を過ごしていました。

この週はちょうど、台風が来て夏のような天気で窓を開けていましたし、スピーカーをならしていれば普段開けない道路側の窓を開けることもありました。
秋休みで、外で子供が遊びだすし、少し離れた家の裏では塗装工事のために日中ずっと足場を組むカンカンという音が鳴り響いていました。
それだけではありません、家の立地に問題で近くに新幹線が走っておりすぐとなりには自動車修理工場があるのです。
ここ10年ほどはいつもうるさくなると無意識に音楽を流してかき消していたせいか、日中この部屋がかなりうるさいことが分かりました。
また3日経ちましたが耳はまだ回復した感じもありません。

ちょっと気が狂いそうだったので、ここで「オルゴール」と自然音「屋久島」だけスピーカーで小さく流すことを解禁しました。
環境音でごまかすというのは結構有効なようで多少の騒音なら聞き流せる感じになりました。
なにより、音楽を流さなくとも、環境音のうるささに耳が休まる感じはあまりしません。それどころか以前よりずっと疲弊していました。

5日ほどが経つと、やっと音楽のない生活にも慣れてきて、PCに座ったときに無意識的に音楽を探すこともなくなりました。
少し慣れたのか、環境音を流さなくても過ごせる感じになってきて心なしか耳の閉塞感も軽減しているようでした。

音楽レスの生活でもっともストレスを感じたのは、睡眠時、寝る前です。寝付きが悪くなかなか眠れないために小さく音楽をかけて、音楽を聴いているうちにうとうとして朝を迎えるそんな生活習慣を送っていましたが、
いざ、音楽をなしの全くの無音状態で寝ようとするとグルグルと雑多な思考が頭の中を駆け巡って以前にも増してなかなか眠れない状況でした。

寝付きは悪いのですけど、意外にも、音楽を寝る前に聴かないことによって朝の熟睡感がかなり変わりました。大幅に睡眠が改善したのです。
毎日15分のタイマーをかけて小さく50dB程で睡眠の邪魔にならないようにならしていたはずの音楽ですがなぜだかきかない方がぐっすりと眠れることが分かりました。
たまに、スリープタイマーをかけ忘れてしまい夜中にスピーカーに起こされれしまうことがありましたが、そんな日の朝は一日中、疲労感がマックスで前日の疲れが蓄積されてた感じです。
しかし、寝る前の15分でさえも音刺激を無くすことによって睡眠の質が大きく改善してしまったのです。
 以前から、夕食後、特に寝る1,2時間前は、大きな音で音楽聴くべきでは無いと常々感じてはいましたが、この結果には非常に驚きです。

朝起きたときに悪夢にうなされる頻度が劇的に減りましたしなにより、いつもなら鮮明に覚えているはずの夢を覚えていません。どうやら深い眠りの時間が増えているようです。

第16回 「夢はレム睡眠のときに見る」のウソ
人は睡眠中に深い眠りと浅い眠りを繰り返しているが、
まで浅い眠りのノンレム睡眠の時にだけ夢を見るとされてきてが
深い眠りのレム睡眠でも夢を見ている。ただし眠りが深い場合は脳の活動のほとんどがとまっているために夢を見ていてもすぐに忘れてしまう。
内容のある夢にならない。だそう。

2.オーディオを一時再開

そうこうしているうちに長い長い一週間が経過しました。入院している並みに長かったです。
耳に調子はすこし改善しているような感じで以前ではほとんどなかった聴きたい音楽があるという状態まで持って来られました。
早速アンプの電源を入れて、部屋のセッティングを確かめてリファレンス曲をプレイリストにいれて聴き始めます。

  1. エブリデイワールド/早見沙織
  2. For フルーツバスケット/岡崎律子
  3. 心の旋律/TARITARI
  4. 長崎は今日も雨だった/福山雅治
  5. 夏鳥 うたとぴあの/中島愛

とりあえず5曲、いつものように全神経を耳に傾けて試聴です。
一曲目を聴くとおぉちょっと懐かしいレベルで聞こえている感じです。
この頃感じなかった色鮮やかさや奥行きに洞窟の奥から外の世界を見たようでまぶしくも音楽を聴いているという実感があります。
三曲目、心の旋律ではここ最近ではもっとも定位がハッキリと見えてきました。
しかし五曲目夏鳥に差し掛かると、突然耳がぎゅっと締まったような感覚が来てまた世界が閉塞し始めました。ボリュームをぐいっと落として一息つきしばらくすると耳の調子はあまり変わっていないようでした。

それでも以前に比べたらずっと晴れやかな気持ちで音楽を受け止めることが出来たような気がしています。
なにより、音楽を聴きたいと思っているのです。
たかだか一週間ぶりとは言え10年以上一週間も音楽がない生活は初めてでした。
それはまるでヘビースモーカーが頑張って禁煙しているかのようでした。

しかしながらオーディオをやっていて、オーディオのチェック音楽のチェックではなく、耳のチェックをまず始めにしているところが自分でもなにか可笑しくて笑ってしまいます。

3.見えてきた音楽とオーディオの必要性

 本当に大事な物は一度失わないと人はその重要性に気づくことはない。
たかだか一週間自分で聴くのを止めただけですが、この一週間で大きなものを得た感じがします。
なによりやはり自分には音楽必要不可欠であることは間違いありません。
騒音をかき消したり、集中力をあげたり、気分転換したり…様々な作用が確認されている音楽ではありますが、自分の中では音楽とは生き方でり薬です。

ここのところ、オーディオと離れたいと考えることが増えていました
しかし、家を建てるにあたって色々とやっているうちにいつの間にかオーディオショップへ家の設計を依頼することにして…
そもそも真剣にオーディオをやっていなかったら、今の収入もたいしてなかっただろうし日々をもっと無駄に過ごしていたことでしょう。そもそもお金があってもオーディオできないんじゃ宝くじが当たっても意味がないくらいにはオーディオが自分の中心にいたのです。お金があってもどこに使えば良いのかいまのところ不明です。
もはや自分の人生はオーディオからは逃れられないんだ。しかしそれは不幸ではないと思うようになりました。

しかしオーディオルームの建築については慎重に考える必要があると思いました。
というのも、防音をかなり強力にしてその中で生活していると気分が悪くなってくると言うのは有名な話です。人間うるさいところでも静かすぎるところでもストレスになるのです。
オーディオ評論家の長岡鉄男は、防音室の中で別途自然音を流すスピーカーをセットしてオーディを聴いてたなんて話を聞いた覚えがあります。
どこまで防音を施すかは大きな課題と言えましょう。

また、オーディオ機器にもちょっとした工夫が必要そうです。
iTunesのおかげで日夜ずっと音楽を垂れ流し状態にできて
Rossiniを導入してから全ての動作をiPadで行うことが出来て
飽食の時代生活習慣病や肥満が問題になるように、音楽が手軽になる一方で、陳腐化した以上に、音楽を摂取しすぎてしまう環境にあるようです。
以前から、思ってはいましたが休刊日のような音楽を聴かない日を意識的に設定するのが必要だと感じました。

4.自分のキャパシティ

自分は他人よりより生物としてかなり弱い人間です。ネオ障碍者とでも言いましょうか、とにかく刺激に弱いです。
低気圧が来るだけで寝込んでしまいますし、台風なんて日本列島に接近しただけでへとへとになってしまいます。
この一週間部屋の風通しを良くしていたのですが迎えのお宅が洗濯物を干すと柔軟剤の匂いで気分が悪くなったり、後ろの家の金属音に疲弊したり…
何より驚いたのが、音楽がなくてあまりに寂しかったので自分で歌っていたのですけど、自分が発している声ですら偏頭痛のきっかけとなることが分かりました。
ちょうど今合唱コンクールの季節でしたが中学の頃はパートリーダーやっていました。あのころしょっちゅう頭痛が起きていましたが理由が分かりました。

だからこそ、オーディオ目線で家を建てることには大いに意味があると感じます。オーディオショップゆえの普通のハウスメーカーにない配慮や融通の利きやすさを感じます。
家造りの基本的なルールこそあれど、その作業はマニュアル化されておらず、家全体の音のコントロールや建てた後の換気や段階的な引っ越しなどちょっと変な建て方ができます。また新しい家ですので気密が高く外からも内からも音が入らず出ていかず、反響具合も調整出来るのです。このなチャンスは逃すわけにいきません。

加えて引っ越すことにより、一日中家にいても新幹線の騒音や揺れに悩まされることがなくなります。次の土地はかなり静かな住宅街で穏やかなところです。
新幹線と言えば騒音もうなれてきましたが、その揺れがあの大震災以降のことすこし酔うことに気がついてから、新幹線による揺れをかなり拾うようになりました。軽微な揺れもまた耳や神経の不調の原因かも知れません。

 5.聴力と音楽を聴くこと

オーディオをやっていて音楽を聴くなら聴力が良いに越したことはありません。
しかし、耳が良すぎるというのも困りものです。耳の感度よりも気持ちの感受性の方がずっと大事なような気がします。オーディオ評論家先生の中には補聴器をされている方もいらっしゃいます。
世界にはアルコールを受け付けないワインソムリエが、魚介類アレルギーのシェフがいます。
言ってしまえば能力よりも、楽しむ気持ちの方がずっと大事なのです。

世界中に多種多様な音楽がありますが、自分にとって音楽とは言語であり、オーディオとは音楽とふれあうための翻訳ツールであると思います。
音楽とは、人の感情に直接触れられる世界で一つの共通言語です。そう言うと大げさですが、懐かしさであったり安心感であったり、音の向こうにある原始的感情こそが自分が音楽で得たい何かだと思います。
音楽こそが最も手軽に誰にでもその難しい感情のコントロールを可能とする言語だと思うのです。

音楽を聴くには特殊な場合を除いて大きく分けて二つ、生で聴く場合とオーディオ装置を通して聴く場合に分けられると思います。
音楽はコンサートの方が絶対良いと言う人もなかには居ますが、いつでもどんな音量でも自由に自分の好きな形で音楽が聴けるのがオーディオなのです。楽な体勢で寝ながらとかクラシックでさえも一緒に歌いながら?といった自由な聴き方が出来ます。
また、デジタルデータだったり磁器や信号の羅列を人が聴ける音として届けるつまりは翻訳するのが、オーディオです。あのWilsonAudioのデビットウィルソンはスピーカーのことを音楽を聴くための窓だと表現しています。オーディオ界の中でも好きな表現です。

6.おわりに、これから。

やはり音楽は聴きたいですし、オーディオは必需品だと思います。
例えオーディオ趣味は飽きてしまっても音楽はずっと聴いていると思います。
オーディオを売ってしまうとか、大きく縮小するとかよくある話ではありますが、まだそのタイミングではないと感じます。

耳の違和感に関してはもうこんなもんだと思うしかないようですが、とりあえず天候が荒れたら自律神経も乱れますし、自然界には逆らうことは出来ません。
体調が悪いときばかりですがたまには良い日もあるのでゆっくりとできたらなと。

オーディオを始めたのは運命だと思います。
ずっとやっていればいずれスランプが来てやり続けていればまたスランプもまた抜けていくと思います。
あの宮崎駿は魔女の宅急便でウルスラを通して次のように言っています。

飛べなくなってしまったキキに対して、ウルスラはこう言います。
「そういうときは、ジタバタするしかないよ。描いて描いて描きまくる!」

それでも描けなかったら?
「描くのをやめる。 散歩をしたり、景色を見たり、昼寝したり、何もしない。そのうちに急に描きたくなるんだよ。」

「魔女の血、絵描きの血、パン職人の血。 神様か誰かがくれた力なんだよね。おかげで苦労もするけどさ。」

宮崎駿も何十年とアニメを書き続けているうちにスランプが来たときもあったのでしょう。
誰かの受け売りかも知れませんが、万人に共通して言えることだと思います。

何かを続けていくというのはどんなことでも大変なことなんだと思うのです。
だからこそ、オリンピアンでも企業の社長でも長い間積み上げて成功した人があんなにも輝かしく見えるのかもしれません。
嫌でやっているわけではない、でもいつもそれが楽しくやれるわけではない。”神様か誰かがくれた力”というのは非常にしっくりとくる表現です。

長くなりすぎたので記事を二分割しましたがそれでも長すぎてちょっと自分でも驚きです。前後編併せて1万字になってしまいました。(反省)
耳の不調はまだ続きそうですが、とりあえずこの件はこれでひとまずおわりです。

おしまい。