岡崎律子さんの音楽が、私にくれたもの
5月5日に思うこと
5月5日が来るたびに、私は少しだけ身構えてしまいます。
岡崎律子さんの命日だからです。
私にとって岡崎律子さんは、ただのシンガーソングライターではありません。好きな音楽家、影響を受けたアーティスト、そういう言葉だけでは到底足りません。
アニメを見ること。音楽を聴くこと。オーディオを楽しむこと。そして日々を生きること。
その根底には、いつも岡崎律子さんの音楽があります。
人生で初めて、本当に心を揺さぶられた音楽。人生で最も聴いてきた音楽。感情や愛の表現、そして人生について考えるための基礎をくれた音楽。
私にとって岡崎律子さんは、人生の師であり、真の母親のような存在でした。
無限の愛をくれました。
言葉をくれました。
生きる意味をくれました。
だからこそ、5月5日ほどしんどい日はありませんでした。
長いあいだ、この日をどう過ごせばいいのか分かりませんでした。毎年、とりあえず岡崎律子さんのアルバムを一通り聴いて過ごしていました。
それは追悼であり、祈りであり、自分自身を確認するための儀式でもありました。
ある意味で、私は聴くことしかできなかったのだと思います。
けれど、この頃は少し変わってきました。
今は、ブログやnoteを書きながら、割と普通に過ごしています。それは忘れたということではありません。薄れたということでもありません。
むしろ、岡崎律子さんから受け取ったものが、ただ聴くものから、自分の中で言葉として働くものに変わってきたのだと思います。
私は、もともと文章がまったく書けませんでした。
小中高と国語は大の苦手でした。作文がとにかく嫌いでした。何を書けばいいのか分からない。どう感じれば正解なのか分からない。自分の中にあるものを、原稿用紙の上に出すことができませんでした。
人と話すことにも、大きな壁がありました。他人と自然に会話することが難しく、世界とのあいだに、いつも厚い膜のようなものがあるように感じていました。
それがASDによるものだったのか、家庭環境によるものだったのか、あるいはその両方だったのかは、今でもよく分かりません。
ただ、確かに言えることがあります。
私はずっと、世界を敏感に感じすぎていました。
音も、空気も、人の言葉も、食事も、作品の違和感も、普通なら流れていくようなものが、強く体の中へ入ってきました。その敏感さは、長いあいだ、生きづらさでしかありませんでした。
けれど今は、その敏感さを少しずつ受け入れられるようになってきました。
私は世界をあまりにも敏感に、繊細に感じてしまいます。そのことを欠点としてだけではなく、自分の表現の源として受け入れられるようになってきました。
それは、私にとってとても大きなことでした。
私は、アニメを見てその感想を1クールごとに20年近く書いてきました。
最初は本当に荒い文章でした。短い反応。ネット的な言葉。面白かった。酷かった。作画がどうだった。そんな感想でした。
けれど、少しずつ文章は変わっていきました。
作品の構造を見るようになりました。キャラクター同士の距離感を見るようになりました。日常系アニメの中に、失われていく青春や、戻れない子供時代を見るようになりました。音楽やエンディングが、作品の救いになる瞬間を見るようになりました。
『恋は雨上がりのように』を見て、私はファミレスを「人生の雨宿り」だと感じました。
『のんのんびより』を見て、田舎ではなく、幼少期の記憶を感じました。
『ゆるゆり』を見て、友達との距離感や、学生時代の短さを感じました。
『違国日記』を見て、他人と生きることの難しさを感じました。
『シャンピニオンの魔女』では、音の中に「息が感じられる距離感」を感じました。
私はアニメを見ながら、ずっと何かを探していたのだと思います。
どこに愛があるのか。
どこに救いがあるのか。
人はなぜ生きていていいのか。
誰かがただ近くにいてくれるとは、どういうことなのか。
本物の愛とは何なのか。
その探し方を、岡崎律子さんの音楽が教えてくれたのだと思います。
岡崎律子さんの音楽は、強く励ます音楽ではありませんでした。大丈夫だと乱暴に言い切る音楽でもありませんでした。
悲しみを消すのではなく、悲しみごとそっと包んでくれる。弱さを責めるのではなく、弱いままでもそこにいていいと感じさせてくれる。愛を叫ぶのではなく、日常の言葉の中に静かに置いてくれる。
私はその音楽から、感情の扱い方を学びました。愛とは何かを学びました。やさしさとは、何かを無理に変えることではなく、ただそこにいてくれることなのだと学びました。
だから、私にとって岡崎律子さんの音楽は、娯楽ではありませんでした。音楽鑑賞という言葉だけでは収まりませんでした。
オーディオ趣味は、ただ音楽を聴くための道具にすぎません。けれど私にとって音楽は、録音を通して聴くものであり、オーディオなしには成立しないものでもありました。
それは、養育でした。
祈りでした。
生きるための言葉でした。
人生に影響を与えた人を挙げるなら、スティーブ・ジョブズや宮崎駿のような、名だたる人たちの名前が並びます。
ジョブズは、美意識や道具と人間の関係について考えさせてくれました。宮崎駿は、世界を見るまなざしや、自然、生命、労働、少女、老いについて考えさせてくれました。
けれど、音楽だけは岡崎律子さんでした。
彼女だけが、私の人生の奥深くにある、言葉にならない場所に触れていました。
私は長いあいだ、話すことも、書くことも苦手でした。世界をうまく受け取れませんでした。人とうまくつながれませんでした。
けれど、岡崎律子さんの音楽は、私に言葉をくれました。
直接、文章の書き方を教えてくれたわけではありません。論理や構成を教えてくれたわけでもありません。
それでも、感情をどう扱えばいいのかを教えてくれました。悲しみをどう抱けばいいのかを教えてくれました。愛をどう表現すればいいのかを教えてくれました。
人生は苦しくても、それでもどこかに光があるものだと教えてくれました。
だから今、私が文章を書けるようになってきたこと。人と話せるようになってきたこと。自分の感じ方を受け入れられるようになってきたこと。
その根底には、岡崎律子さんの音楽があります。
昔の私は、5月5日になると、アルバムを聴いて過ごすしかありませんでした。ある時から、ブログに追悼記事を書くことにしました。誰に向けて書くわけでもない、自分との対話。どこにも届かないかもしれない話。
そして、今日もこうして書いています。
岡崎律子さんから受け取ったものを、今度は自分の言葉に変えようとしています。彼女の音楽がくれた愛や、やさしさや、人生へのまなざしを、自分なりの文章にしようとしています。
これは、悲しみが消えたということではありません。喪失が軽くなったということでもありません。
ただ、受け取ったものが、私の中で生き続けているのだと思います。
聴くだけだった音楽が、いつの間にか、私の言葉の中で芽吹き、流れるようになりました。
だから今年の5月5日、私は少し普通に過ごしています。それでも、忘れてはいません。
むしろ、より深いところで思い出しています。
岡崎律子さんがくれたもの。
無限の愛。
言葉。
生きる意味。
それは今も、私の中にあります。
音楽を通して得た心の栄養は、今、人生という大樹を育てているのだと思います。
そしてたぶん、私がこれから書く文章にも、作る動画にも、アニメの感想にも、どこかで必ず流れていくのでしょう。
私は、世界を敏感に感じすぎます。
そのことで、たくさん傷ついてきました。生きづらさもありました。人とうまく話せない時期もありました。文章がまったく書けなかった時期もありました。
でも今は、その繊細さを少しだけ肯定できます。
世界を感じすぎることは、苦しさでもあります。けれどそれは同時に、世界の中にある小さな愛や救いを見つける力でもあります。
その見つけ方を、岡崎律子さんが教えてくれました。
だから、5月5日は今も特別な日です。
しんどい日であり、感謝の日でもあります。喪失の日であり、受け取った愛を確認する日でもあります。
今年も私はここにいます。
書いています。
感じています。
そして、少しずつ自分の言葉で生きようとしています。
岡崎律子さんがくれた音楽は、今も私の中で鳴っています。
それは、ただの音楽ではありません。
私が生きるための、いちばんやさしい指針なのです。