令和という元号にもすっかり慣れて、季節はもうすでに夏のようで時間の流れのあまりの速さに戸惑いつつも、オーディオの家は着実に現実の物へと近づいている。
大型連休の中日、5月2日に地鎮祭を行って令和になって初めの青空の下護国神社の神主さんとともに土地神様へご挨拶。
4月の23日にやる予定が雨のために延期になって、社長と神主さんだけで簡略的に済ませるはずが、5月2日に家族揃って地鎮祭を行えた。 最近では地鎮祭を省く家も少なくはないらしいけれど、令和の始まりに晴れ晴れとした気持ちで建築という大工事に挑む。というのも、家を作るというのは現場に赴く人だけでも関わる人は30種100人を超える。
地盤改良から始まって基礎屋から大工、庭師や左官、ガス屋など、基礎だけに絞っても、配筋や型枠、コンクリートなど細分化されている。
多種多様な仕事と人が関わる家造りではやはりトラブルが付きものだ。どんなトラブルが起きるかは分からないけれど、何か起きたときに地鎮祭を行っておくとすこし気持ちが落ち着くと思う。また事の始まりとして意味がある儀式だと思う。
日本ではどんなハイテクビルを建てるときでも地鎮祭を行うことが多いのはやはり、日本人の繊細さと始まりを知らせるきっかけとしてちょうど良いからだろう。
地鎮祭を行うと同時に、土地に張られた地縄をみるとここに家が建つのだという気持ちが強く感じられる。そしてこの家地縄の地縄でもうすでにデカイ。
地鎮祭を終え異例の10連休を過ごした日本列島をたたき起こすみたいに、連休明けの5月7日から本格的な工事が始まった。
まずはじめは地盤改良だ。もう引き返せないという気持ちと本当に家が建ち始めたという実感からなんだか気分はえらく高揚していた。
8日に現地へ視察へ行くと、もうすでに半分ほどの工事が完了しているところだった。腐植土を丁寧に取り除いて乾式の柱状改良工事が着々と進んでいた。
柱状改良の頭。結構深いそして直径は50cm以上で大きい
GoProを持っていてサックと動画を撮影。初日だけに立ち回りがよく分からず思ったような画は撮れなかったが、とりあえず一本だけちょっと改良している様子が撮れた。
思ったよりもコンパクトな作業車と敷地の広さとが相まって撮影環境はかなり良いように思う。
現場監督に聴くと、作業スペースは広くてさらに駐車スペースもあって作業はとてもしやすいという。最近の家はどうしても庭も駐車所すらもないような小さな家が多いだけに作業は大変なのだという。
しかしながら、柱状改良の頭の部分をみるとえらく地中深くにあるように感じた。グランドレベルは事前によく話会い考えた部分ではあったけれど、どうもちょっと低いような気がしてならない。
柱状改良工事は3日で終わり、すぐさま基礎工事に入った。
5月15日に現地へ行くともうすでに配筋がほぼ終わっていた。
基礎の段階では多くの人が家が小さいなと感じるのだというけど、またこれをみて大きい家ができるなと感じるのでした。
配筋を見て図面から実寸になった間取りをみると玄関も広いし、廊下は今の家の倍ほどあるように感じる。少しこだわったトイレも車いすでも余裕な広さが確保されてどこを見てもゆったりとしている。
ただし、お風呂だけは今の家よりも小さくしてた。というのも、今の風呂は1.5坪サイズで大きすぎて冬大変寒い上に掃除がとても大変なのだ。そこで今回は普通サイズの1坪それでもマンションなんかと比べたら明らかに大きいのだけど、広い風呂になれた身としてはちょっと小さくしたなと感じた。
黙っていても工事は進んでいく。こちらが夏の暑さでもうすでに伸びていても工事は着々と進んでいく。
あまりの暑さと具合の悪さにぼけっとしているうちに家がいつの間にかできあがってしまうのではないかと思う反面、もう勝手にできあがっててくれとも思う。
とにかく家造りは体力勝負だ。
先日また16回目の店頭での打合せが行われた。オーディオショウがあったのが遠い昔のように感じられつつも、いつも通りの社長と事務さんそしてIさんの姿をみると、まだやらなければいけない事が沢山あるのだと身が引き締まる思いだ。
家が建ち始めたが最後、一回発注を入れたら沢山ある部材も業者もどんんどん先へ進んでいってしまう。おちおちしていては、いつのまにか何か違う家が出来かねない。
間取りはもう決まっていてもまだ、キッチンだったり収納だったりのディテールはまだ確定していないのだ。社長からはそんなに焦らなくてもまだ十分間に合いますよと声をかけられつつ、先に決めるべき事案を着々と決定していく。
冷静に考えて今年の11月、つまり約半年間ずっと現場へ赴き、動画を撮りつつYoutubeへ上げながら、家の詳細を次々に決定していく。なかでもオーディオルームの照明や収納、コンセントの位置など失敗したくないところは結構ある。
しかし半年もの間そんなに根を詰めていては、間違いなく夏の終わりにはぶっ倒れていると思う。
そんなことにならないように、任せるところはお任せにしつつ、動画撮影も部材選びも出来るだけ楽しみながら出来たら良いと思う。
とにかく、全部自分でやろうとしない、そして完璧を求めない。
くたくただった、5月の16日にひとつの言葉が頭をよぎった。
「 なるようになる
なるようにしかならない 」
自分の限界に挑むときが来た。いや、どうやってもなるようにしかならないときだってある。それでも”なるようになる”さと、肩の力をふっっと抜いて。
今日も家造りの何かに勤しむ。
つづく。