鉛色の空から雪が降り始めた日いつもと変わらない新潟の空気、12月10日8回目の打合せがF社にて行われた。
家が建っていた土地はすっかり更地になってそこにいままあったモノがなんだったのか記憶からぼんやりと消えていくのを感じた。ここに我々の新しい家が建つんだと思いつつも、前にあったはずの何かがぼんやりと頭に引っかかって何とも言えない気持ちになる。
風が冷たくつんとした冬の空気を感じ、いつの間にか1枚だけになったカレンダーを眺めて今年も残すところ半月だとため息をつく。
今年の夏にあの家で片付けやらなにやらしていたのが遠い昔のようでも昨日のことのようでもある。
F社へ行くと社長が口癖のように時間が経つのは早いですねとしみじみ言う。ほんとうに早い
いつの間にか冬になった今日、家計簿を確認するとかなり危機的状況であることが判明した。うすうすは気づいていたのだけど、ずっと目を背けていた家のお金の問題が家を建てることでようやく明るみに出てきた。
今住んでいる家は断熱材にグラスウールを間柱の間に充填している。柱から基礎から冷気に晒されている。最近出来た住宅展示場の外断熱の家と比べるとすぐにわかる断熱性能の低さ。
加えてサッシは2重なのだけど、小さな隙間があり機密性が悪いその上フレームがアルミ素材なので冷気がかなり伝わりやすい。
うちの暖房は基本的に床暖房オンリーだ。
というのも、空気を汚染するようなガスファンヒーターや石油ストーブは頭が痛くなってくるし、すぐに部屋を暖められるエアコンでは頭がくらくらしてくる。気温がマイナスになると足元に小さなセラミックファンヒーターを使うだけだ。
しかしこの床暖、不凍液を床下に循環させるタイプであり燃料は灯油。この家を建てた頃、灯油は1リットルで40円程度だった。それが今では100円以上。
冬は灯油代だけで一月3万円を超えていた。ここにガス水道電気料金を加えると8万円程度になるという。家族三人の光熱費としてはかなり高い。
高いのは別に光熱費だけではなく、食費も医療費も平均よりも遙かに高い。そして何より定年を迎えてからはずっと家計は赤字の状態が続いているという。
母が凍った顔をして言う、
「私たち、このまま家を建てたら生活レベルを大きく落とさないといけないかも知れない。」
先々週に近くの住宅展示場へ足を運んだ。
前回言った所よりも全体的に大きい家が多く2世帯住宅が目立つ。
建物自体がやや古くあまり参考に出来そうな所は無さそうなので
適当に回っていたのだけど、坪単価を聞くと結構高い。
なにより、F社で家をリフォームから新築へと切り替えてから社長には家の価格を確認していなかった。
建坪をみると住宅展示場の家といま建てようとしている家の大きさはさして変わりは無い。
将来残るであろうお金のことを考えて家族3人で青ざめた。
そして迎えたF社での8回目の打合せ。早速、家の資金について話を切り出す。
これには社長も戸惑い頭を抱えた。
家を小さくして予算内に収める!と言ってもそう簡単にできることではないのだけど、これまで作ってきた図面では、玄関ホールや廊下階段がかなり広く取られているし、オーディオルームもガバッと2Fの大きな面積を取っている。そもそも建坪が33坪あり総二階建なので延べ床面積は60坪を超えていた。これは3人で住むには無駄が多すぎる。
さらには、2700mmあった天井高を2550mmへサイズダウンしたりトイレや風呂、洗面所の面積を減らしたり、漆喰の壁を珪藻土と普通の壁紙に変更したり、床を無垢材から突板にしたり換気システムを全部屋第1種から3種へ変更したりとコストカット出来る要素は沢山あるようだ。
そうしていくうちになんとなく新しい図面の案が出てきたようで社長が鉛筆で白紙に線を引き始める。家そのものの形を見直して、廊下を大幅に減らした間取りを提案したいという。しかしこれどう見ても社長宅のそれだ。そういうと社長はやや恥ずかしそうにしていた。
なにより気になったのは、家の熱効率だ。やはり床暖房は外せないのだけど、オール電化の家の一例では新婚3人家族で電気代が2万円以内に納まったなんていう話を聞いた。オール電化で使う電気式の床暖房では設備費用が安いがその反面運用コストが高い。しかしその例では光熱費がIHのキッチンも含んで2万円以内だという。
なぜだろうと言う前に答えは出た、夫婦共働きで日中家にいないしほとんどを深夜電力で賄えるからだ…
そう家は3人とも自宅にいる時間が長い。特に自分は外出は週1で歩かないかだし、24時間常に家にいるので暖房も24時間必要になってきて、補助暖房無しの床暖房だけで電気式の床暖房にしたら恐ろしい電気代がかかるだろう。
加えて、オーディオルームの冷暖房は天井高が3mを超えてきて鬼門だという。ここにあの爆熱のPASSのアンプがさらに電気を食うのだというのだから、このままでは光熱費が大変なことになる。
そう言っていると、やや自慢げに資料を取り出し始めるIさん
最終兵器とばかりに取り出したのは「エネファーム」「エコキュート」の資料だった。
ここ新潟県では”油田”があるおかげで、ガスが非常に安く住宅展示場でもガス式の床暖房を強く勧められた。
そこで活躍するのがガスを利用した「エネファーム」だ。床暖房とお湯を温めつつ、最高700Wの電力を発電できるという。これなら、エネファームでオーディオ分の電力は全て賄えそうだ。
またエネファームの初期設備費用はとても高い。170万円程度とちょっといいアンプが一台買える。また余剰電力は売電することが出来ないのでまさにオーディオで全てを使っていくとちょうど良さそうだ。
帰宅してさらに調べるとエネファームには最大15万円程度の補助金が出るという。
そんな話をしながら8回目の話合が終わった。いつものように、体温計を取り出してその場で熱を測ると37.2℃あった。まあまあいつも通りだなと思いつつも、社長もはやく帰りましょうと気を遣ってくれる。
話し合いが始まる前に、Iさんが常温のいろはすを用意していたのも、段々と自分について家族について理解が深まってきたと感じた。
家に帰ってもう一度熱を測ると37.4℃になっていた。
重たい身体で、エネファームについて調べると壊れやすいとか初期費用に見合わない光熱費だとか、なにより低周波が出て自律神経を病むとかちょっと考え物だ。
しかしエネファームで検索をかけていたら新築に対する県や市からの補助金が思いの外沢山あることに気が付いた。
詳しくはこちら↓
住宅の補助金・減税・優遇制度オールガイド 2018(H30年)
なんだかんだ言いつつもなんとか形になりそうだ。
しかし、トイレの床だったり洗面台だったりはたまたオーディオルームだったりをコストカットしてあまり必要ないモノやスペースを無くしたり縮小したり、窓を規格品に変えたりとしているうちに、自分が思い描くよりずっとちゃっちい家になるんではないかと心配になった。
家の”ムダ”こそが自由な空間であり新しい意味を加えられる場所でもある。図面の上での設計以上の暮らしを叶えるのはムダがあるからこそだと思う。
良いものと一緒に暮らせると言うこと
というのも、オーディオ機器を見て貰えば分かるとおり、今も昔も結構自分は高級品とは行かなくても、モノに対して強いこだわりがあるし、自分はほとんど外出しない上にどこかに旅行なんてことは出来ないので、家の内装だったり機能性が高いことに越したことはない。
日々、生活をする家で風呂だったりキッチンだったりを使う度になにか使いづらいとかちゃっちいとかそう感じるのは結構なストレスになると思う。加えて最近のグレードの低い製品のちゃっちさは目に当てられないほど安っぽい。
PASSのパワーアンプの電気代の話をすると社長は言う
「良いシステムで良い音楽が聴けるそういうちょっとしたことで生活の中で張り合いが出るというのか生きるパワーが貰えるんですよ」
そういえばここオーディオショップだった。
そうでないにしても、モノから貰えるエネルギーを小さく見積もってははいけないと思う。F社の店内を見渡してもそんな安っぽいものは見当たらないし全てにこだわりが感じられる。それは売り方でも同じだ。
ほんの少しの工夫や質感で満足感は大きく変わるはずだ。
例え、資金よりも大幅に安く家が建ったとしてもその家が心から満足できる家ではなかったら…家で寝起きする度になにか心の奥底で満たされない感覚を味わい続けるかもしれない。
そんな満たされない安い家に住んでいたら、残ったお金で無駄な買い物をたくさんしてしまいそうだ。
人がお金を使うのは大抵「自分の心を満たすため」だ。
心の隙間を埋めるには、なにをどうしたら良いかを考える必要がある。
なにより、生きようという意欲さえもが削がれるかも知れない。
そんな家では、愛着がないし綺麗に使おうとか掃除をこまめにしようとかも思えないかも知れない。その積み重ねが家の寿命を縮め、家を早々に建て替えたり引っ越すことに繋がってくる。それはトータルで見たら明らかにコストが高くなると言える。
あの自分たちが取り壊したあのパナホームの家主は言う
「自分の家はリビングが30畳もあって~広い庭があって~」
はたして30畳のリビングが居心地が良いかは謎なのだけど、自分が誇りに思うようなものを持っているということにはしっかりと嫉妬してしまうし、ある意味でそういう気持ちが色々なところで心の支えになるのだと思う。
ここは、使えるだけの資金を使って、良い家を建てるのが今のミッションだと思う。
ただ、自分はまだ普通に働けないし、父は定年を迎えて非正規雇用に移り、母は少しのアルバイトをしている。そんなのでローンは簡単には組めない。
だから、持ち金でコスパの良い家を目指さなければならない。
ない袖は振れないから。
オーディオルーム一点豪華主義の家、まさにオーディオハウスが出来ようとしている。
つづく。